名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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心には 下ゆく水の わきかへり 言はで思ふぞ 
言ふにまされる
                詠人知らず
 
(こころには したゆくみずの わきかえり いわで
 おもうぞ いうにまされる)
 
意味・・私の心の中には、表面からは見えない地下水が
    わき返っているように、口に出さないけれど、
    あなたのことを思っています。その思いは口に
    出して言うよりずっと思いは深いのですよ。
 
出典・・古今六帖。

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久方の 天の香具山 この夕べ 霞たなびく 
春立つらしも        
               詠み人知らず

(ひさかたの あめのかぐやま このゆうべ かすみ
 たなびく はるたつらしも)

意味・・天の香具山に、今日の夕方はじめて霞が
    かかっている。ああ、これでいよいよ春
    になったようだ。

注・・久方=天の枕詞。
   天の香具山=奈良県橿原(かしはら)市に
    ある山。天上から降りて来たという神
    話から天を冠する。
   春立つ=立春(2月4日)を意識した語。

出典・・万葉集・1812。 



大空の 雨はわきても そそがねど うるふ草木は 
おのが品々
                 僧都源信

(おおぞらの あめはわきても そそがねど うるう
 くさきは おのがしなじな)

意味・・大空の雨は差別して降るわけではないが、潤
    う草木はそこに生えている状況で違って来る
    ものだ。

    歌の題は「法華経の心をよむ」です。
    仏法の恵には差別は無いが、受ける側によっ
    て違いが生じる、という事を詠んだ歌です。
 
    人の言う事は好くも悪くにも取れるもの。い
    い意味で聴きとりたいものだといっています。
 
    なお、仏法の恵みには「奈良の観音、駿河の
    観音」とお祈りする事により恵を受ける事が
    出来ます。
   (「ならぬ堪忍、するが堪忍」という事です。
    つらさ、苦しさなど、もうこれ以上は我慢出
    来ないという所をじっとこらえるのが本当の
    我慢という意味

 注・・わきても=別きても。とりわけ。格別に。
    うるふ=潤う。恩恵をこうむる。
    品々=さまざま。いろいろ。
 
作者・・僧都源信=そうずげんしん。942~ 1017。
    恵心院の僧。
 
出典・・千載和歌集・1205。


時ありて 花ももみぢも ひとさかり あはれに月の
いつもかはらぬ
                       藤原為子 

(ときありて はなももみじも ひとさかり あわれに 
 つきの いつもかわらぬ)

意味・・花も紅葉もそれぞれに決まった時期があって盛り
    を見せるのに、月はいつも変わらぬたたずまいで
    空にあることです。

    春の花、秋の紅葉、それぞれ、一年の内の短い時
    期だけれど、思い切り美しい姿を見せる。
    それに比べて「月」はいつも変わらぬ存在である。
    そうした不変のものの「あはれ」の情趣がしみじ
    み心に沁(し)みるのであるが、それは、盛りの時
    を経てはかなくなってゆく花、紅葉、そして人生
    への愛惜でもある。
    為子の生きた時代、必ずしも華やいだ平安な日々
    ではなかった。北条氏全盛の時、為子が仕えてい
    た宮廷は揺れ、為子の兄弟である京極為兼は幕府
    によって流されたりもした。
    様々に咲き、散る人生を思う時、ひとり「月」の
    不変はいとおしいのだ。

 注・・時=季節。
    あはれ=情趣が深い、しみじみと心を打つ
     さま。すてきだ、いとおしい、気の毒だ。

作者・・藤原為子=ふじわらのためこ。生没年未詳。京極
     為兼の姉。伏見天皇の中宮(永福門院)に仕える。

出典・・風雅和歌集。

大き波 たふれんとして かたむける 躊躇の間も
ひた寄りによる       
                  木下利玄

(おおきなみ たおれんとして かたむける ためらい
 のまも ひたよりによる)

意味・・大きな波が、まさに倒れようとして傾いている。
    そのためらいにも似たわずかなの時間にも、波
    はひたすらに寄せて来る。

    大波はそのまま停まっているわけではなく、波
    が倒れようとする一瞬、引力よりももっと強い
    沖から寄せる波の力に押されて寄せて来ている
    状態を詠んでいます。
    これは葛飾北斎の冨獄三十六景の波の画と同じ
    ですが、北斎の画には高波に小舟が呑まれそう
    な一瞬、舟客が無事を祈る姿が描かれています。
    利玄の大波はいつ襲ってくるか分からない災難
    を暗示しています。

 注・・躊躇(ためらい)=迷って心が決まらないこと。

作者・・木下利玄=きのしたりげん。1886~1925。
    東大国文学科卒。志賀直哉・武者小路実篤らと
    「白樺」を創刊。

出典・・笠間書院「和歌の解釈と鑑賞辞典」。


感想・・この歌は葛飾北斎の富獄三十六景の大波の画を
    思い出されます。


    旅人の乗った舟が大波に飲み込まれそう。大波
    は高く立ち上がり今にも倒れて舟を沈めるので
    はないか思わせる画です。旅人は無事を祈って
    頭を船底に付けています。
    遠方には富士山が見えるので、江戸から大阪へ
    行く舟旅の途中の出来事かも知れません。

    舟出する時の海は波静かであったと思われます。
    海が時化(しけ)るとは思いも及ばなかったこと
    でしょう。
    
    現実でも、順風満帆であってもいつ時化が来る
    か分らない。
    ある日突然病気に襲われるかも知れない。脳梗
    塞や癌を患うかも知れない。
    難病を患うかも知れないと思っていてもどうす
    る事も出来ないのだが、患った時の覚悟を決め
    いれば失望の度合いも違って来る。
    病気になった時の痛みや苦しみを思うと、人間
    関係のまずさによる辛さも我慢出来るかも知れ
    ない。 
    

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