名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

カテゴリ: 日記

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いづくにか 日の照れるらし 暗がりの 枕にかよふ
管弦のこえ
                   明石海人 

(いずくにか ひのてれるらし くらがりの まくらに
 かよう かんげんのこえ)

意味・・太陽の気配を感じつつ臥せていると、耳に
    つけた枕に、不思議にも管弦の音が聞こえ
    てくるような気がする。

    ハンセン氏病が進行してもう目が見えなく
    なった時期に詠んだ歌です。
    目では捕らえられない日光の気配が音楽と
    して快く感じられるといっています。
    
    ハンセン氏病を患い、病状が進行して絶望
    の渕に生きているはずの海人なのに、この
    明るさの心境は、どこから湧いて来るのだ
    ろうか。

    海人の歌集「白描」の巻頭の言葉の一節で
    す。
   「私たちが今置かれてい立場を言うと、周り
    は真っ暗です。夢や希望などは持てません。
    けど、気が付いたんですよ。周りに光がなけ
    れば、自ら燃えればいいのだと。ちょうど
    深海に住む魚族のように」
    また、「今までは、楽しかった過去やら希
    望を持って生きていた頃、あるいは肉親の
    ことなど、自分が失ったものばかりに目を
    向けて苦しんでいた。だから、今なお自分
    が持っているものを大切にしょうという思
    いにまで及ばなかった」

    また、らい病療養所の長島愛生学園で、園
    誌の編集者であった患者の双見美智子さん
    は、女児一人を残してこの施設で療養して
    いた。やがて、夫と離婚した双見さんは「
    もし娘が逢いに来てくれた時、娘が誇れる
    親でありたいので自分を磨き続けている」
    ・・・と。    

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    沼津商業卒。会社勤めの後、ハンセン氏病
    を患い、生涯を療養所で過ごす。

出典・・歌集「白描」。

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ふかき夜の むら雨かかる 朝じめり まだ咲ききえぬ
花の色かな             
                  正徹
                
(ふかきよの むらさめかかる あさじめり まださき
 きえぬ はなのいろかな)

意味・・深夜に降ったにわか雨で、朝方湿りながら
    まだ咲いたまま朝露も消えていない、清々
    しい花の色だなあ。

    昨夜の雨に濡れてまだ玉の露が残り、花が
    一段と艶(あで)やかに見えて、朝の清々しさ
    を詠んでいます。

 注・・むら雨=にわか雨。

作者・・正徹=しょうてつ。1381~1459。字は清岩。
    室町中期の歌僧。

出典・・岩波書店「中世和歌集・室町篇」

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種まきし わがなでしこの 花ざかり いく朝露の
をきてみつらん      
                       藤原顕季

(たねまきし わがなでしこの はなざかり いくあさ
 つゆの おきてみつらん)

意味・・私が種をまいた撫子の花は今花盛りだ。
    朝露の置いた花をもう幾朝起きては見
    た事だろう。

    藤原長実(ながさね)大臣の家の歌合で
    詠んだ歌です。顕季(あけきえ)は長実
    の父親。わが子の「花盛り」を讃えて
    いる。

 注・・わがなでしこ=「我が撫でし児」を掛
     ける。
    をきて=「置き」に「起き」を掛ける。
 
作者・・藤原顕季=ふじわらあきすえ。1055~
    1123。詞花和歌集の撰者顕輔の父。諸
    国の守を歴任。
 
出典・・詞花和歌集・72。 

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山里は ものの寂しき 事こそあれ 世の憂きよりは
住みよかりけり          
                                        詠み人知らず

(やまざとは もののわびしき ことこそあれ よのうき
 よりは すみよかりけり)

意味・・山里の住まいは寂しい事ではあるが、雑事の
    煩わしい俗世間よりは住みよいことだ。

    山里では人との交流が少なく寂しいが、社会
    の中に入って行くと、自分の思い通りになら
    ず憂いを感じる。寂しさと憂いの比較で寂し
    さの方が良いといっている。

 注・・山里=山中の人里。ここでは隠遁生活者。
    寂(わび)しき=心細い、寂(さび)しい。
    世の憂きより=煩わしい世の中にいるよりも。
    「憂き」はつらい事。

出典・・古今和歌集・944。 


せきもあへぬ 涙の川は はやけれど 身のうき草は
流れざりけり     
                  源俊頼

(せきもあえぬ なみだのかわは はやけれど みの
 うきくさは ながれざりけり)

意味・・せき止められない我が涙は川となってたぎ
    り流れているが、浮草のような我が身の憂
    さは、ながれずにそのままでいることよ。

    身分の低い人に官位昇進の遅れをとって、
    嘆いた歌です。いくら泣いても憂さの晴れ
    ないくやしさの気持ちを詠んでいます。
       
 注・・あへぬ=敢へぬ、たえる、こらえる。
    身のうき草=「浮草」に「憂き」を掛ける。
    流れざり=憂さの消えないことの比喩。

作者・・源俊頼=みなもとのとしより。1055年頃生。
    75歳。左京権太夫。従四位。

出典・・金葉和歌集・609。 

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