いづくにか 日の照れるらし 暗がりの 枕にかよふ
管弦のこえ
明石海人
(いずくにか ひのてれるらし くらがりの まくらに
かよう かんげんのこえ)
意味・・太陽の気配を感じつつ臥せていると、耳に
つけた枕に、不思議にも管弦の音が聞こえ
てくるような気がする。
ハンセン氏病が進行してもう目が見えなく
なった時期に詠んだ歌です。
目では捕らえられない日光の気配が音楽と
して快く感じられるといっています。
ハンセン氏病を患い、病状が進行して絶望
管弦のこえ
明石海人
(いずくにか ひのてれるらし くらがりの まくらに
かよう かんげんのこえ)
意味・・太陽の気配を感じつつ臥せていると、耳に
つけた枕に、不思議にも管弦の音が聞こえ
てくるような気がする。
ハンセン氏病が進行してもう目が見えなく
なった時期に詠んだ歌です。
目では捕らえられない日光の気配が音楽と
して快く感じられるといっています。
ハンセン氏病を患い、病状が進行して絶望
の渕に生きているはずの海人なのに、この
明るさの心境は、どこから湧いて来るのだ
ろうか。
海人の歌集「白描」の巻頭の言葉の一節で
海人の歌集「白描」の巻頭の言葉の一節で
す。
「私たちが今置かれてい立場を言うと、周り
は真っ暗です。夢や希望などは持てません。
けど、気が付いたんですよ。周りに光がなけ
れば、自ら燃えればいいのだと。ちょうど
深海に住む魚族のように」
また、「今までは、楽しかった過去やら希
望を持って生きていた頃、あるいは肉親の
ことなど、自分が失ったものばかりに目を
向けて苦しんでいた。だから、今なお自分
が持っているものを大切にしょうという思
いにまで及ばなかった」
また、らい病療養所の長島愛生学園で、園
誌の編集者であった患者の双見美智子さん
は、女児一人を残してこの施設で療養して
いた。やがて、夫と離婚した双見さんは「
もし娘が逢いに来てくれた時、娘が誇れる
親でありたいので自分を磨き続けている」
・・・と。
作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
沼津商業卒。会社勤めの後、ハンセン氏病
を患い、生涯を療養所で過ごす。
出典・・歌集「白描」。