光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る
物思ひもなし
                清原深養父
          
(ひかりなき たににははるも よそなれば さきて
 とくちる ものおもいもなし)

詞書・・にわかに権勢を失って嘆いている人を見て、時勢
    の恩恵に浴した晴れがましさの覚えもないかわり、
    急に時を得なくなった為のなげきをも知らないで
    いる自分を詠んだ歌。

意味・・日の光が届かない谷間には春も無縁のものだから、
    咲いた花がすぐに散りはしないかという心配さえ
    もないのだ。

    「光なき谷」を不本意な居場所と解釈すると、
    もともと、陽当りのいい場所など望みようもない
    我が身であるから、この人のように一喜一憂とは
    無関係に生きていられる。

    「光なき谷」をあえて求めた居場所と解釈すると、
    自ら選んだ居場所なのだ、時勢に媚(こ)びる必要
    もなければ、時勢に見放される不安もない心安さだ。 

 注・・光=時勢の恩恵のたとえ。
    春もよそなれば=春も無関係であるから。
    とく=疾く。早速、急いで。
    物思ひ=心配ごと。

作者・・清原深養父=きよはらのふかやぶ。930年頃活躍
    した人。清少納言の曾祖父。

出典・・古今和歌集・967。