この谷や 幾代の飢えに 瘠せ瘠せて 道に小さなる
媼行かしむ       
                                          土屋文明

(このたにや いくよのうえに やせやせて みちに
 ちさなる おうなゆかしむ)

意味・・この山奥の谷よ、ここに幾代も幾代も飢餓に
    耐えて人々はかろうじて生き抜いて来たのだ。
    今その谷の道をとぼとぼとちいさな老婆が歩
    いて行く。この谷の貧しさの象徴ででもある
    かのように。

    作者は昭和20年に戦災を被り群馬県吾妻群の
    川戸部落に疎開した、その頃の作です。
    川戸部落は吾妻渓谷の奥の貧しい不便な山村
    であり、作者はここで土地を耕し生活をした
    のである。村民は渓谷に棚田を作り稲を植え
    たが、冷害で全然稔らない田もあった瘠せ地
    である。

 注・・この谷や=この谷よ。「や」は詠嘆を示す語。
    幾代=幾代も幾代も。長い時代の経過を示す。
    媼(おうな)=老女。

作者・・土屋文明=1890~1990。長野県諏訪高女の
    校長。万葉集の研究家。

出典・・歌集「山川水」(学灯社「現代短歌評釈」)