萌えいづるも 枯るるもおなじ 野辺の草 いづれか秋に
あはではつべき
               祇王 (平家物語)

(もえいずるも かるるもおなじ のべのくさ いずれか
 あきに あわではつべき)

意味・・春になって萌え出る若葉も、霜に打たれて枯れる
    枯れ草も、もとはといえば同じ野辺の草。一時、
    栄華の差はあるが、いずれ凋落の秋に会わぬわけ
    にはいかないでしょう。
 
      スポットライトを浴びるあなたも、捨てられる私
    も、もとは同じ野辺の草ですよ。あなただってい
    つかは飽きられて捨てられてしまいますよ。

    平家物語に出て来る歌で、祇王が平清盛に捨てら
    た時に詠んだ歌です。
    無常の世界を詠んでいます。幸せに暮らしていて
    も、いつどん底に陥るかも知れない。
    いつそのような試練が来ても耐えられるように心
    の準備をしていて欲しいと祇王はあなた(仏御前)
    に訴えた歌です。   
          (平家物語・祇王のあらすじは下記参照)
      
 注・・枯るる=「離るる」を掛ける。
    秋=「飽き」を掛ける。
    あはで=「会はで」と「泡で」を掛ける。
    
作者・・祇王=平家物語「祇王」に出て来る主人公で21歳
    の白拍子。

平家物語・祇王のあらすじ。

昔、太政大臣平清盛公、出家してからは浄海と申し上げる
お方がいらっしゃいました。天下の権力を一手に握り、傍
若無人に振る舞っておいででした。そのころ都に祇王(ぎお
う)・祇女(ぎにょ)という有名な白拍子(しらびょうし)の姉
妹がおりました。(白拍子というのは、今様という流行歌を
歌ったり舞を舞ったりする女の芸能者のことです。)清盛公
は、祇王をことのほかお気に召していらっしゃいました。
そのおかげで、妹の祇女や母の刀自(とじ)も丁重に扱われ、
立派なお屋敷を建てていただき、毎月たくさんのお扶持を賜
って、何不自由なく豊かに暮らしておりました。都の白拍子
たちはみな、祇王を羨らやんだり妬たんだりしていました。
ところがそうして三年ほどたった頃、仏御前(ほとけごぜん)
という十六歳の白拍子が都にやってきて、古今まれなる舞の
名人と大評判になりました。仏御前は、「同じことなら天下
の清盛公の御前で……」と思い、西八条にある清盛公のお屋
敷へ自ら参上しました。祇王に夢中の清盛公は、「召しても
おらぬに、突然参るとは無礼な」と怒り、追い帰そうとなさ
いました。しかし、まだ幼い仏御前に同情したのでしょうか、
祇王が「せめてお会いになるだけでも」と取りなしましたの
で、清盛公も折れて、仏御前をお召しになりました。
仏御前は、清盛公のご命令で今様を歌い、舞も披露しました。
姿形が美しい上に、声がきれいで歌は上手、もちろん舞も引
けを取るものではありません。その舞いぶりに感心した清盛
公は、仏御前をすっかり気に入って、屋敷に留め置こうとな
さいました。仏御前にとって、祇王は恩のある人。その祇王
に遠慮して退出することを願いましたが、清盛公はお許しに
ならず、それどころか「祇王を追い出せ」とのご命令です。
催促のお使いが何度も参りましたので、祇王はやむなく出て
行くことにしました。さすがに三年も住んだ所ゆえ、名残惜
しさもひとしおです。襖にこのような歌を書き残してから、
車に乗り込みました。

萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に
逢はで果つべき

(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局
 みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。人も
 また、誰しもいつかは恋人に飽きられてしまうのでしょう)

実家に戻った祇王は、母や妹の問いかけにも泣き伏すばかりで
す。やがて毎月のお扶持も止められて生活は苦しくなり、代わ
って仏御前の縁者が富み栄えるようになりました。祇王が清盛
公に追い出されたと聞きつけて、手紙や使者を遣わす男たちも
おりましたが、祇王は今さら相手にする気にもなれず、ただ涙
にくれる日々でした。・・・。
 
感想・・千変万化の無常の世界。良い方向ばかりに変化して
    くれれば良いのだが、悪い方向にも変化する人の世。
    仏午前が現れなければ、祇王の身分は安泰であり続
    けていただろうか。
    病気になったり、嫉妬や妬みに負けたり、主人の平
    清盛が落ちぶれたりすると、今の地位をやはり去ら
    ねばならない。
    
    私自身、気力がなえて鬱になったり、癌になったり
    と、無常の風が吹いた時に耐える心の準備をして置
    かねばと思った。