われの眼の つひに見るなき 世はありて 昼のもなかを
白萩の散る
                            明石海人
 
(われのめの ついにみるなき よはありて ひるの
 もなかを しろはぎのちる)

意味・・私の眼にはもはや見ることも出来ない世界が
    周囲に広がっている。私のたたずむ秋の真昼
    もそうだ。しかしそんなこととは関わりなく、
    私の眼の中では白萩が散っていることだ。

    作者は27歳でハンセン病となり、35歳頃から
    視力が不自由になる。ほとんど視力を失った
    頃に詠んだ歌です。

    健やかだった頃の眼に刻み込まれた白萩の美
    しい幻想が、作者の脳裏に今鮮やかによみが
    がえってくる。それが失明によって世界と隔
    離されてしまった悲しみを詠んでだ歌です。

 注・・白萩=豆科の植物。萩は豆のような赤紫色の
     蝶形花であるが、白萩は白色の花を咲かす。
     秋の七草のひとつ。
    
作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    ハンセン病のため瀬戸内海の長島愛生園で一
    生を過ごす。歌集「白描」。

出典・・歌集[白描」(「荒波力著「よみがえる万葉歌人・
        明石海人」)

感想・・昭和10年頃に詠まれた歌と思われます。当時は
    らい病に効く特効薬は無く、らい病にかかると
    だんだん病気がひどくなるのを待つばかりでし
    た。作者の明石海人も同じで、喉に淡が詰まり
    息が出来なくなるので、喉に管を通した状態で
    した。その上目も見えなくなってしまいました。
    当時の愛生園は病気の軽い患者が思い患者の世
    話をしていました。明石海人も同僚から面倒を
    見てもらう立場でした。声も出せなく目も見え
    ない状態で意志を告げるのには、同僚の背中に
    手で文字を書いて相手がそれを読み取ります。
    明石海人が詠んだ歌もこのようにして残りまし
    た。
    病気がひどくなって治る見込みもないと、生き
    る気力も無くなります。明石海人はそれでも生
    き甲斐を持ち続けています。
    明石海人はどこから生きる力が、短歌を詠む力
    が湧いて来たのだろか。
    明石海人は短歌が詠めるようになった。そして
    詠む事に喜びを感じていたからではないだろう
    か。喜びを感じるので、短歌作りに熱中出来る。
    ここに生き甲斐を感じたのではないかと思いま
    す。
    私も同じ立場になっても、喜びを感じ熱中出来
    る何かがあったらと思う。