我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を
今日越ゆらむ  
                   当麻真人麻呂

(わがせこは いずくゆくらん おきつもの なばりの
 やまを けふこゆらん)

意味・・夫はどのあたりを旅しているのであろう。
    名張の山を今日あたり越えていることで
    あろうか。

    伊勢行幸に従事した夫を思う妻の歌。名
    張を取り上げたのは、名張が畿内の限界
    で、この地の山を越えると異郷の伊賀の
    国だったため。

 注・・背子=妻が夫を女性が恋人を呼ぶ語。
    沖つ藻=「名張」の枕詞。
    名張=三重県名張市。

作者・・当麻真人麻呂(の妻)=とうまのひとまろのつま。
    伝未承。四位の官人。

出典・・万葉集・43。

感想・・この歌に対して、ブログ友の猫の帯さんより、
    次のコメントを頂きました。

    今とは違い、当時旅することは、本当に大変な
    事だったんですね。あらためて感じました。
    "物"に恵まれ過ぎた私たちは、大切なものを見
    失ってしまっている気がします。
 
    大切な物を失っていることに、なんとなく同調
    はするものの、大切なものとは何だろうと思い
    ました。

    名張から伊勢までの旅は、当時は数日かかっ
    ていたと思われます。この距離は現在は車で数
    時間で行けます。
    昔に比べれば自由な時間が大幅に増えています。
    田植えや稲刈りにしても、現在は機械化されて
    いるので短時間に終り、これも大切な時間が増
    えています。
    昔と比べると現在はあらゆる面で作業時間が短
    縮されて自由時間が増えています。

    恵まれた私たちは何か大切な物を見失っている
    ような気がすると、猫の帯さんは言っています。
    なんだろうか。

    昔は作業の効率が悪いので朝から夜まで働いて
    いました。一生懸命に働いても自由な時間は少
    ない。
    現在はかなり多くの自由時間があり幸せである。

    時間の使い方を昔と現在と比較して見ると、昔
    は生活のために一生懸命になり真剣に時間を使
    っていたと思います。
    現在は、極端な言い方であるが、暇つぶしでテ
    レビを見ている。この番組は何が何でも見たい
    と思って見ることは少ない。

    一生懸命になって時間を過ごしていた昔、真剣
    になって過ごすことの少なくなった現在。

    一生懸命になって使う時間の方に喜びが大きい
    のだと思いました。