いとけなし 老いてはよわりぬ 盛りには まぎらはしくて
ついにくらしつ       
                    明恵上人

(いとけなし おいてはよわりぬ さかりには まぎらわ
 しくて ついにくらしつ)
              
詞書・・人寿百歳七十稀ナリ、一分衰老一分痴、中心二十年事、
    幾多嘆キ咲キ幾多悲シム。この詩の心を詠める。

意味・・年老いては心は幼稚になり、身も弱ってしまった。
    盛りの時には心が他に紛れて最後までうかうか過ご
    してしまったことだ。

    人生の意気盛んなときは20年ほどの間。その時期に
    恋や人との交わりなどでつまらない事に悩んでしま
    い、大事な時を充実せずに過ごしてしまった。悲し
    いことである。

 注・・人寿百歳七十稀=出展未詳。「人生百歳七十稀」は
     白楽天の詩。
    一分衰老一分痴=一部分は老衰し、一部分は痴呆し
     てしまった。
    幾多嘆キ咲キ幾多悲シム=多く嘆いたり笑ったり悲
     しんだりしてきた。
    いとけなし=幼けなし。幼い。

作者・・明恵上人=みょうえしょうにん。1173~1232。8歳
     で母を失い、続いて父が戦死して孤児となる。伯父
     に頼って神護寺に入り16歳で出家。鎌倉時代の僧。     

出典・・明恵上人歌集・14(岩波書店「中世和歌集「鎌倉篇」)

感想・・徒然草の中に次の言葉があります。
    生、住、異、滅の移り変る実(まこと)の大事は、たけ
    き河のみなぎり流るるごとし。
    ものが生じ、生じたものが存続し、存続したものが変
    化し、それが滅びて行く。この、全てのものは変転し
    て止む時がないというおごそかな事実は、水の激しい
    河がみなぎり流れていくような早やさで起きていく。
    という意味である。

    庭の花を見ていると、赤や黄色の花が生じ、蝶がやっ
    て来る平安のなかにしばらく住(じゅう)し、皺(しわ)
    み枯れるという異変を経て、滅んでいく。

    全て滅ぶ、と悲観的になるか、いや、決してそうなっ
    てはいけない。
    私たちが生きているということは、「住」の時を持っ
    ているということである。それがいつ、異に変り、滅
    につながるかは、私たちは決して予知出来ない。
    とにかく、今生きて、今在るということこそ幸なので
    ある。

    更級日記の作者の菅原考標(たかすえ)女の言葉に「后
    の位も何にかはせむ」がある。源氏物語の1巻から50
    巻を全部取り寄せ読み始めた喜びの気持ちです。
    好きで好きでたまらない事が出来るなら、后の地位も
    いらない、と読みふける。

    好きな事に打ち込む。そして、楽しむ。充実感ゃ爽快
    感、心地良さ、ときめき・・、を感じたら素晴らしい。
    好きで好きでたまらない物を持つことの良さです。
    ちなみに私の好きで好きでたまらないものは、勝負事。
    将棋もそのひとつです。

    生、住、異、滅の移り変わる実(まこと)の大事、の中
    にあつて、好きなことを増やしていき「在命の喜び、
    日々楽しまざるべけんや」です。
           いのち長らえていることの喜びを、日々かみしめて、
    楽しく生きていこう。そうしないでいいものか。