名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年02月


うつせみの 世やも二行く 何すとか 妹に逢はずて
我がひとり寝む
                   大伴家持

(うつせみの よやもふたゆく なにすとか いもに
 あわずて わがひとりねん)

意味・・この現実の世がもう一度繰り返されることが
    あろうか。それなのに、このかけがえのない
    夜を、あなたに逢わないで、さびしく、一人
    寝をすることが出来ようか。

    坂上大嬢(さかのうえのいらつめ)に贈った恋
    の歌です。

    人は死に、二度とは生き返らない。自分の人
    生も必ずいつか終わる。そのいつかをけっし
    て予知出来ないからこそ、生きている今の今
    が、かけがえのない大事なものだ、と。

    存命の喜び、日々楽しまざるべけんや。
    (いのち長らえている事の喜びを、日々かみしめて
    楽しく生きていこう。そうしないでいいものか。) 

 注・・うつせみ=「世」にかかる枕詞。現実の、と
     いう意味がある。
    やも=反語。この現実の世の中がもう一度繰
     り返されることがあろうか、けっしてない。
    二行=二度繰りかえす。
    何すとか=行動の意図をおしはかる疑問を表
     わす。どうしてまた、それなのに。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
    大伴旅人の長男。越中守、少納言。万葉集の
    編纂をした。

出典・・万葉集・733。


薮入りや 何も言わずに 泣き笑い   
                   
(やぶいりや なにもいわずに なきわらい)

意味・・奉公人が主人から休みをもらって、喜び勇んで
    帰って来た。親と対面したものの、楽しい思い
    出より辛く苦しいことばかり。話せば親を悲し
    ませると思うと何も言えない。只泣き笑いする
    ばかりだ。

    一方、息子の帰りを首を長くして待っている両
    親、特に親父は朝からソワソワ、いえ、前の晩
    から、いやいやそのず~っと前からソワソワ。
    有り金を叩いて、ああしてあげたい、こうして
    あげたい、暖かい飯に、納豆を買ってやって、
    海苔を焼いて、卵を茹でて、汁粉を食わせてや
    りたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混
    ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨く
    ないし、寿司にも連れて行きたい。ほうらい豆
    にカステラも買ってやりたい・・。
    そして三年ぶりに息子とのご対面は、「薮入り
    や何も言わずに泣き笑い」・・落語「薮入り」
    の一節です。

 注・・薮入り=商家で住み込んで働いている奉公人が
      年に二度、一月と七月の16日、一日だけ
      家に帰るのが許された。奉公始めは三年間
      は休みを貰えなかった。
     

イメージ 1
             「息をのむ」・上村松園画

眺めつつ 昔も月は 見しものを かくやは袖の
ひまなかるべき         
                相模

(ながめつつ むかしもつきは みしものを かくやは
 そでの ひまなかるべき)

意味・・物思いにふけり昔も月は見たのだが、こんなに
    袖の涙が乾く暇もない事があっただろうか、
    なかったものだ。

    物思いに沈む、恋の悩み・病気・子供の事で悩
    む・交通事故・・。

 注・・眺め=物思いに沈む事。
    かくやは=「かく」はこのように。「やは」は
     反語の意を表す、・・だろうかいや・・では
     ない。
    ひまなかるべき=涙で濡れずにいる隙(時間)が
     無かっただろうか、いやあった。今は濡れて
     ばかり。

作者・・相模=十一世紀半ばの人。相模守・大江公資
    の妻。 夫が相模守なので相模と称した。

出典・・千載和歌集・985。
 


家ろには 葦火焚けども 住み好けを 筑紫に到りて 
恋しけ思はも            
                  物部真根

(いえろには あしびたけども すみよけを つくしに
  いたりて こいしけおもはも)

意味・・家では、葦火を焚くと煙たく煤けて汚いがそれでも
    住み良いものだ。遠く離れて筑紫に着いたら、こん
    な家のことも恋しく思うことだろうな。

    上野国(こうずけこく)の防人(さきもり)の歌です。
    今いる所が不憫に思っていたことだが、それに比べ
    ここよりもっと環境の悪い所に行けば、ここは住み
    良い所だと思うだろう、と詠んでいます。
    
 注・・家ろ=「ろ」は親愛をこめた接尾語。
    葦火=暖のため、家の中で葦を焚く事。煤けて汚い。
    筑紫=福岡県の北部。
    上野国=今の群馬県のあたり。
    防人=上代、東国から送られて九州の要地を守った
     兵士。

 作者・・物部真根=もののべのまね。生没年未詳。上野国の人。

 出典・・万葉集・4419。


岩つなの またをちかへり あおによし 奈良の都を
また見むかも             
                   詠人知らず

(いわつなの またおちかえり あおによし ならの
 みやこを またみんかも)

意味・・もう一度若返って、あの栄えた奈良の都を
    再びこの目で見ることができるであろうか。

    栄えた往時の奈良の都を再び見られぬ事を
    嘆いた歌です。
    類歌に大伴旅人の「我が盛り またをちめやも 
    ほとほとに 奈良の都を 見ずかなりなむ」が
    あります。   (意味は下記参照)

 注・・岩つな=「またおちかへり」の枕詞。「岩
     つな」は蔓性の植物、定家蔓とも言われ
     る(由来は下記参照)、蔓が岩を這い広が
     りまた元にの所に戻るの意。
    をち=複ち。元に戻ること、若返る。
    あおによし=奈良の枕詞。

出典・・万葉集・1046。

参考歌です。

我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を
見ずかなりなむ      
                   大伴旅人

意味・・若い時代がまた返ってくるだろうか、いやそんな
    事は考えられぬ。もしかしたら、奈良の都を見な
    いままに終わってしまうのではなかろうか。

   「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく
    今盛りなり」   小野老
    と歌われた奈良の都を懐かしんで詠んだ歌です。

 注・・をちめ=復ちめ、元に戻る、若返る。
    ほとほとに=ほとんど、おおかた。

出典・・万葉集・331。

参考です。

定家蔓(ていかかずら)の由来。
  京都を旅していた僧侶が夕立にあい、雨宿りで
    駆け込んだところが、歌人の「藤原定家」が昔
    建てた家だった。どこからか現れた女性がその
  僧侶を、葛(つる)のからんだ式子内親王 の 墓
  に案内し、こう語った。「藤原定家は式子内親
  王を慕い続けていたが、式子内親王は49歳で
  亡くなってしまい、定家が式子内親王を想う執
  心が葛となって式子内親王の墓にからみついて
  しまった。式子内親王の霊は葛が墓石にからん
  で 苦しがっているらしい」。 僧侶はそれを聞
  き、式子内親王の成仏を願って 墓の前で読経し
  た。じつは、先ほどの女性は式子内親王本人の
  「霊」で、僧侶が読経してくれたことで成仏でき
  て喜んだ。そして、この、からみついた「葛」
  に後年「定家葛」の名前がつけられた。
 

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