名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年02月


ちち君よ 今朝はいかにと 手をつきて 問ふ子を見れば
死なざりけり       
                   落合直文

(ちちきみよ けさはいかにと ておつきて とうこを
 みれば しなざりけり)

意味・・「お父様、けさはご機嫌いかがですか」と畳の
    上にかしこまり、手をついて、朝の挨拶をする
    わが子を見ると、かりそめの病に臥している我
    が身ながら、これくらいのことでは死なれない、
    もっともっと長生きせねばこの子たちがかわい
    そうだという気持ちがひしひし起こってくる事
    だ。

 注・・いかにと=「おはしますか」等の句を省略。

作者・・落合直文=おちあいなおふみ。1861~1903。
    明治21年「老女白菊の花」を発表して国文学の
    普及に尽くす。

出典・・学灯社「現代短歌評釈」。


稚ければ 道行き知らじ まひはせむ したへの使
負ひて通らせ
                   山上憶良
            
(わかければ みちゆきしらじ まいはせん したえの
 つかい おいてとおらせ)

意味・・私のかわいいかわいい子は突然死にました。あの
    子はまだ幼い子供ですから、冥土へ行く道の行き
    方を知りますまい。冥土からお迎えに来られた
    お役人さんよ、私は貴方にどっさり贈り物をいた
    しますから、どうか脚の弱いあの子を負んぶして
    冥土へおつれ下さいませ。
    
    長歌の一部です。
    明星の輝く朝になると、寝床のあたりを離れず、
    立つにつけ座るにつけ、まつわりついてはしゃぎ
    まわり、夕星の出る夕方になると「さあ寝よう」
    と手にすがりつき、「父さんも母さんも離れない
    で真ん中に寝る」とかわいらしく言うので、早く
    一人前になってほしい・・。

    長歌では憶良がひたすらわが子の成長を楽しんで
    いる様子が描かれ、その後に急死した悲しさが詠
    まれています。

    人が死ぬと冥土から迎えの使いが来ると信じられ
    ていた時代の歌です。

 注・・まひ=幣。謝礼として神に捧げたり、人に贈る物。
    はせむ=馳せむ。急いで・・する。
    したへ=下方。死者の行く世界、黄泉の国。
    通らせ=「せ」は尊敬の語。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。遣唐
    使として3年渡唐。筑前守。大伴旅人と親交。
 
出典・・万葉集・905。

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年ごとに せくとはすれど 大井川 むかしの名こそ
なほながれけれ      
                 源道済

(としごとに せくとはすれど おおいがわ むかしのなこそ
 なおながれけれ)

意味・・大井川は(田の用水として)毎年水を堰止めてい
    るけれども、昔の名高い評判だけは、せき止め
    られることもなく、今でもやはり流れ伝わって
    いることだ。

    川を堰止めるので大堰川(おおいがわ)とも呼ば
    れ、紅葉の葉がおびただしく流れるので有名。
            また川下りの遊覧も名所であった。

    藤原資宗(すけむね)は大井川で遊んだ折り「紅
    葉水に浮かぶ」の題で次の歌を詠んでいます。

    筏士よ 待て言問はむ 水上は いかばかり吹
    く 山の嵐ぞ     (意味は下記参照)  
    
 注・・せくとはすれど=(大井川は田の用水として井
     堰をつくって)堰き止めているけれど。
    大井川=大堰川とも言う、京都嵐山の近くを流
     れる川。上流を保津川、下流を桂川と呼ばれ
     る。

作者・・源道済=みなもとみちなり。~1019。筑前守。
    中古三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・1060。

参考歌です。

士よ 待て言問はむ 水上は いかばかり吹く
山の嵐ぞ
               藤原資宗

(いかだしよ まてこととわん みなかみは いかばかり
 ふく やまのあらしぞ)


意味・・筏で川を下っている人よ、ものを尋ねたい。
    この川の上流ではいったいどのくらい激しく
    山の嵐が吹いているのかを。

    殿上人(てんじょうびと)たちとともに、
    大堰川(おおいがわ)に遊んだ折、「紅葉
    水に浮かぶ」の題で詠んだ歌です。

    この歌の面白さの一つは、「紅葉」の語を
    使わずに筏師に紅葉を散らす山の嵐の状態
    を問うことで、川に浮かぶ紅葉の情景を
    喚起する点にあります。

 注・・筏士=筏をあやつることを職業としている
     人。筏は木や竹を並べつないで、流れに
     浮かべるもの。

作者・・藤原資宗=ふじわらのすけむね。生没年未詳。
     正四位下・右馬頭となったが1087年出家。  

出典・・新古今和歌集・554。


世の中に あらましかばと 思ふ人 なきが多くも
なりにけるかな      
                 藤原為頼 
               
(よのなかに あらましかばと おもうひと なきが
 おおくもなりにけるかな)

意味・・この世の中に生きていればよかったのにと思う
    人で、亡くなってしまった人が、すっかり多く
    なってしまったことだ。

    この世に生存していたならばどんなであろう、
    あのようにもこのようにもするだろうと思う
    人の、亡くなった人が、まことに多くなって
    しまったことだ。

    何か難しい事のあった時、いまは亡き人の価
    値が認識され、どのように行為し、思考する
    だろうと思うと、懐かしく感じられる気持ち
    を詠んでいます。

 注・・あらましかば=生きていたならば。「ましか
     ば」は推量の助動詞と接続助詞、もし・・
     であったら。
    なき=亡き。

作者・・藤原為頼=ふじわらのためより。生没年未詳。
    堤中納言兼輔の孫。従四位下。

出典・・拾遺和歌集・1299。

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わびぬれば 身を浮き草の 根をたえて 誘ふ水あらば
いなむとぞ思ふ       
                   小野小町

(わびぬれば みをうきぐさの ねをたえて さそう
 みずあらば いなんとぞおもう)

意味・・私はこの世に暮らして行く上でつらい思いを
    していますので、我が身がいやになったので
    すから、浮き草の根が切れてどこへでも流れ
    るように誘ってくださる人があれば、どこ
    へでもいってしまおうと思います。
    でも、今ではなくそのうちに。

    文屋康秀が三河(愛知県)の国司の役人になっ
    たので、今度私の任国を視察においでになり
    ませんか、といってきたので、その返事の歌
    です。
    「いなむ」には「行きましょう」の意味の裏
    側に「否む・拒否する」という真意が隠され
    ていて、やんわり断っています。

 注・・わびぬれば=心細く暮らしているのだから。
    身をうき草の=身を憂く(つらく)思い浮き草
     のように。
    誘う水=浮き草を誘う水。頼りになる人があ
     らばの意を暗示。
    いなむ=去なむ。行ってしまう。「否む・断
     る」を掛けている。
    文屋康秀=生没年未詳。860年三河の国司官。
     六歌仙の一人。

作者・・小野小町=おののこまち。生没年未詳。絶世
    の美人といわれ各地に小町伝説を残す。六歌
    仙の一人。

出典・・古今和歌集・938。

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