名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年01月

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この谷や 幾代の飢えに 瘠せ瘠せて 道に小さなる
媼行かしむ       
                                          土屋文明

(このたにや いくよのうえに やせやせて みちに
 ちさなる おうなゆかしむ)

意味・・この山奥の谷よ、ここに幾代も幾代も飢餓に
    耐えて人々はかろうじて生き抜いて来たのだ。
    今その谷の道をとぼとぼとちいさな老婆が歩
    いて行く。この谷の貧しさの象徴ででもある
    かのように。

    作者は昭和20年に戦災を被り群馬県吾妻群の
    川戸部落に疎開した、その頃の作です。
    川戸部落は吾妻渓谷の奥の貧しい不便な山村
    であり、作者はここで土地を耕し生活をした
    のである。村民は渓谷に棚田を作り稲を植え
    たが、冷害で全然稔らない田もあった瘠せ地
    である。

 注・・この谷や=この谷よ。「や」は詠嘆を示す語。
    幾代=幾代も幾代も。長い時代の経過を示す。
    媼(おうな)=老女。

作者・・土屋文明=1890~1990。長野県諏訪高女の
    校長。万葉集の研究家。

出典・・歌集「山川水」(学灯社「現代短歌評釈」)


この谷や 幾代の飢えに 瘠せ瘠せて 道に小さなる
媼行かしむ       
                                          土屋文明

(このたにや いくよのうえに やせやせて みちに
 ちさなる おうなゆかしむ)

意味・・この山奥の谷よ、ここに幾代も幾代も飢餓に
    耐えて人々はかろうじて生き抜いて来たのだ。
    今その谷の道をとぼとぼとちいさな老婆が歩
    いて行く。この谷の貧しさの象徴ででもある
    かのように。

    作者は昭和20年に戦災を被り群馬県吾妻群の
    川戸部落に疎開した、その頃の作です。
    川戸部落は吾妻渓谷の奥の貧しい不便な山村
    であり、作者はここで土地を耕し生活をした
    のである。村民は渓谷に棚田を作り稲を植え
    たが、冷害で全然稔らない田もあった瘠せ地
    である。

 注・・この谷や=この谷よ。「や」は詠嘆を示す語。
    幾代=幾代も幾代も。長い時代の経過を示す。
    媼(おうな)=老女。

作者・・土屋文明=1890~1990。長野県諏訪高女の
    校長。万葉集の研究家。

出典・・歌集「山川水」(学灯社「現代短歌評釈」)


たち変わり 古き都と なりぬれば 道の芝草 
長く生ひにけり    
                 田辺福麻呂

(たちかわり ふるきみやこと なりぬれば みちの
 しばくさ ながくおいにけり)

意味・・すっかり様子が変わって、今ではもう古びた
    都になってしまったので、往き来する者もな
    く、道の雑草も丈(たけ)高くなってしまった。

    奈良遷都で人々がいっせいに新都に行ってし
    まった。今まで大宮人が踏み平して往き来し
    ていた道は、馬も通らず人も通わないので、
    今では全く荒れ放題になってしまったと、悲
    しんで詠んだ歌です。

 注・・たち変り=「たち」は意味を強める接頭語。
    奈良還都=740年から745年まで都は難破や
     久爾(くに)に移った。奈良の都はその後日
     々に荒廃した。

作者・・田辺福麻呂=たなべのさきまろ。生没年未詳。
    748年頃活躍した宮廷歌人。

出典・・万葉集・1048。

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花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 
思ふわが身に
                西行
             
(はなにそむ こころのいかで のこりけん すてはて
 てきと おもうわがみに)

意味・・この俗世間をすっかり捨て切ってしまったと思う
    我が身に、どうして桜の花に執着する心が残って
    いたことであろうか。

    物欲や名誉をすべて捨てて、悩みや束縛から抜け
    出て安らかな心境にある自分だと思うのに、花に
    深く心を動かされるのはどうしてだろうか。

    花の美しさに感動するだけでなく、人と共に喜び
    人と共に泣くという人の心は失わず、感動する心
    は捨てていないという境地を詠んでいます。

 注・・染む=心に深く感じること。
    てき=・・してしまった。完了の助動詞「つ」の
     連体形+過去の助動詞「き」。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。名佐藤義清。
    下北面武士として鳥羽院に仕える。23歳で出家。
    高野山で仏者として修行。家集は「山家集」。

出典・・山家集・76。

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意地悪の 大工の子ども かなしかり 戦にいでしが 
生きてかへらず         
                  石川啄木

(いじわるの だいくのこども かなしかり いくさに
 いでしが いきてかえらず)

意味・・いつも私をいじめている大工の子、その人が
    いなければどんなに幸せだろうかといつも思
    っていた。その人がいなくなる。ホットする
    ものの、その大工の子に赤紙が来て戦地に行
    くことになった。憎いと思っていた人だが戦
    争に行って、生きて帰れないと思うと、やは
    り悲しくなってくる。

 注・・赤紙=徴兵の召集令状。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~ 1912。
    26歳。盛岡尋常中学中退。

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