名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2018年12月

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わが思ふ ことのしげさに くらぶれば 信太の森の
千枝はかずかは            
                   増基法師

(わがおもう ことのしげさに くらぶれば しのだのもりの
 ちえはかずかは)

意味・・私の悩むことの多さに比へれば、信太の森の楠の木
    の千枝も物の数ではない。

    千枝の数より多い悩みというのは悩みが尽きないと
    いうこと。悩みは自分だけでなく誰でも持っていま
    す。挫(くじ)けずに生きていきたいものです。

    悩みの数は少なくしたいもの、そのヒントです。
    時間が許すとき、下記を参照して下さい。

 注・・思ふ=思い悩む。
    信太の森=和泉国(大阪)にある森、楠木が多い。
    かず=数。多数。
    かは=反語の意を表わす。

作者・・増基法師=ぞうきほうし。生没年未詳。比叡山の
    法師。

出典・・詞花和歌集・365。

    参考です。

    悩みの数は少なくしたいもの、そのヒントです。
    
    ある女性が結婚するにあたって、夫となるべき人
    からこう言われました。「母が、烏が白いと言っ 
    たら、烏は黒色ではなく白い色に見えるような目
    を持つように」。その後彼女の結婚は想像以上に
    惨めなものであり、忍耐と自分との闘いの連続と
    なりました。
    その彼女が明るく自信に溢れ若々しくなったとい
    う。
    辛い結婚生活を通して学んだことは、私の目に黒
    と見えることでも、人により白に見えている場合
    があると分ったのです。十人いれば文字通り十色
    の物の見方があると分ったのです。そらから相手
    の物の見方を許し、それを理解した。その上で自
    分の考えや意見を述べたそうです。
    物事を既成観念や先入観で決め付ける習慣が根深
    く入り込んでいる事を反省したそうです。

    自分の先入観を横に置いて相手の立場に立って見
    る。言うことは易すいが実行は難しいものです。
    でも、そういう気持ちを持つ事が悩みの数を減ら
    す一歩だと思います。

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むかしにも あらぬわが身に ほととぎす 待つこころこそ
変らざりけれ          
                    周防内侍

(むかしにも あらぬわがみに ほととぎす まつこころこそ
 かわらざりけれ)

意味・・昔と違って年老いてしまった我が身にも、
    ほととぎすを待つ風雅の心だけは変わら
    ないものなのだなあ。

    いつになっても、風雅を愛でる気持ちを
    持ち続けたいものです。

    昔なじみの人の訪問も待ち望んでもいま
    す。時鳥の鳴き声を聞いたら昔なじみの
    人に会えると信じられていました。

 注・・あらぬ=違った、別の。
    ほととぎす=もとつ人時鳥と古来いわれた。
     古馴染みの人がたまさかに訪れてくると
     いう感じがこめられている。
    もとつ人=昔なじみ。

作者・・周防内侍=すおうのないし。1035~1108。
    後冷泉以下四代の宮廷に仕えた。

出典・・詞花和歌集・55。


かくしつつ いつをかぎりと 白真弓 おきふしすぐす
月日なるらん        
                  兼好法師

(かくしつつ いつをかぎりと しらまゆみ おきふし
 すぐす つきひなるらん)

意味・・いつ生命が終わるとも知らないで、このように
    安閑と起きたり寝たりして月日を過ごすのであ
    ろうか。

    やるべき事、やりたい事が特に無く、時間をも
    てあまし、だらだらと無為な時間を過ごす反省
    を詠んでいます。

     同じような内容の蕪村の句、参考です。

     遅き日のつもりて遠きむかしかな
               (意味・解釈は下記参考)

 注・・かぎり=限界、臨終。
    白真弓=檀(まゆみ)の木で作った弓。起き伏し
      の枕詞。「知ら」が掛かる。

作者・・兼好法師=1283~ 1352。「徒然草」が有名。

出典・・岩波書店「兼好法師家集」。

参考です。

    遅き日のつもりて遠きむかしかな   蕪村  
    
     (日の暮れの遅い春の一日、自然と思いは過去
    に向う。昨日もこんな日があり、一昨日もこ
    んな日であった。こんな風にして、過去の一
    日一日過ぎていった。こうした日を幾年と
    なく重ねて、昔も遠くなってしまったことだ)

    この句には昔の良き時代を懐かしみ、自分の
    良き時代を懐かしむ気持ちも含まれています。

    毎日を平々凡々と過ごしているように見えま
    すが、自分のこの一年間を振り返るとあの時
    は良かったと思う時があるもです。10年前、
    20年前を振り返って見ても、その間にも良き
    時代があったと思い出されるものです。頑張
    っていた良き時代があります。そういう昔も、
    遠くなったものだという昔を懐かしむ気持ち
    が含まれる蕪村の句です。

    現在の自分は杖を頼りに歩く状態だとします。
    特になすべき事もなく平々凡々と日々を過ご
    している。生産性のある事もしていない。

    この状態を何年か後の身体が弱った時に思い
    浮かべたらどうでしょう。
    あの時は杖を頼りながらでも公園まで歩き、
    美しく咲いた花を楽しんだものだ。よく頑張
    って散歩に出かけたものだ、と思うかも知れ
    ません。
    後から見ると、当時は何でもない事を、頑張
    っていたとか、楽しんでいたと思うものです。

    兼好の歌、毎日が「起き臥す月日」であっ
    も、頑張っている姿があり、楽しみの時間を
    持っているものです。
    後日になってあの時は良かったと思うだけで
    はな、その日にその日が良かっと思うよう
    になりたい。すなわち、「日々是好日」を味
    わいたく思う。


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いかにせん 我が世ふけひの うらみても 子を思ふ鶴の
おろかなる身を
                    飛鳥井雅世
             
(いかにせん わがよふけいの うらみても こをおもう
 つるの おろかなるみを)

意味・・どうしたものだろうか。わが齢(よわい)が老けて
    ゆく恨みを悲しみ嘆きつつも、吹飯(ふけい)の浦
    で鳴いている、子を思うおろかな鶴の身を。

    鶴は捕まって籠の中にいるのだが、その鶴が子供
    の事を思って鳴いているのと同様、私も身体は弱
    り果てて悲しい身ではありながら、子供の事を心
    配する、この愚かな我が身だ。

    雅世の子が詠んだ歌が歌集に入首したのは、親の
    威光なので、優遇したものの、子の前途を心配し
    て詠んだ歌です。

 注・・ふけひ=地名の「吹飯」と「老け」の掛詞。
     「吹飯」は大阪府南西部、和泉国の歌枕。
    うらみ=「浦」と「恨み」の掛詞。
    子を思ふ鶴=白居易の詩の「夜、鶴は子を憶ひて
     籠の中に鳴く」より、親が子を思う気持をいう。
     (詩は下記参照)

作者・・飛鳥井雅世=あすかいのまさよ。1390~1452。
    正二位中納言。室町期の歌人。「新続古今集」の
    撰者。

出典・・新続古今和歌集(小学館「中世和歌集」)
    
参考の詩です。

五絃弾(抄)   白居易

 聴く者耳を傾けて心寥寥(りょうりょう)たり
 趙璧(ちょうへき)は君が骨に入りて愛するを知り
 五絃 一一(いちいち) 君が為に調(ととの)ふ
 第一第二の絃は索索(さくさく)たり
 秋の風松を払つて疏韻(そいん)落つ
 第三第四の絃は冷冷(れいれい)たり
 夜の鶴子を憶(おも)うて籠(こ)の中(うち)に鳴く
 第五の絃の声は最も掩抑(えんよく)せり
 隴水(ろうすい)凍(こお)り咽(むせ)んで流るること得ず

【通釈】五絃琵琶の弾奏よ、
それに聴衆が耳を傾ければ心は荒涼とする。
趙璧は諸君が骨身に沁みて彼の演奏を愛することを知り、
五絃の一つ一つに調子を整える。
第一・第二の絃は不安な調べである。
秋の風が松を払ってまばらな響きを立てるかのよう。
第三・第四の絃は凄まじい調べである。
夜の鶴が子を慕って籠の中で鳴くかのよう。
第五の絃の声は最も鬱々としている。
隴山の谷川が凍って咽び、滞るかのよう。

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この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の勤めの
田草取るなり       
                                    二宮尊徳

(このあきは あめかあらしか しらねども きょうの
 つとめの たぐさとるなり)

意味・・この秋は大雨が降ったり嵐が来るかも知れない、
    といって今の努力が無になることを考えずに、
    秋の豊作のため、今日の勤めである田草を一生懸
    命になって取っているのである。

    今日の仕事を真剣になってやる事の大切さを詠ん
    だ歌です。

作者・・二宮尊徳=にのみやそんとく。1787~1853。
    江戸時代の農政家。    

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