名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2018年05月


あめつちに 二人がくしき 才もちて あへるを何か
恋をいとはむ
                  与謝野寛

(あめつちに ふたりがくしき さいもちて あえるを
 なにか こいをいとわん)

意味・・この広大な天地間に、われわれ二人は奇(く)し
    き才に恵まれている者同士である。その二人が
    ここにめぐり逢い結ばれて恋をする。この恋は
    どのような障害がろうと、どうして厭(いと)お
    うか。

 注・・くしき=奇しき。不思議た、珍しい、神秘的だ、
     人の智慧でははかり知れない。

作者・・与謝野寛=よさのひろし。18731935
    号は鉄幹。妻の与謝野晶子とともに浪漫主
    義文学運動の中心になる。「明星」を発刊。

出典・・東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」。

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下見れば 我に勝りし 者もなし 笠取りて見よ
天の高さを
           
(したみれば われにまさりし ものもなし かさとりて
 みよ てんのたかさを)

意味・・下を見たら自分より勝る人はいない。だからと
    いって満足をしてはいけない。笠を脱いで天の
    高いのを見ることだ。自分より勝っている者は
    多い。常に向上心に心がけることだ。

    馬術の師匠である細野次雲が70歳ばかりの頃、
    その弟子が彼に向かい、「今の世に名人とい
    われる馬術家はどなたか」と尋ねると、「今
    の世に名人と申すは身でおじゃる」と、きっ
    ぱり言って、また、「ただし油断はなり申さ
    ぬ。もしも他に同じような者もあろうかと、
    今日も昼夜の修行工夫を重ねて、やめぬこと
    でおじゃる」と言い添えたという。
    (昔話より)

出典・・木村山治郎編「道歌教訓和歌辞典」。

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われさりて 後に偲ばん 人なくは 飛びて帰りね
たか島の石
                 高弁上人 

(われさりて のちにしのばん ひとなくは とびて
 かえりね たかしまのいし)

意味・・私が死んだ後に、私のようにお前を賞玩(しょう
    がん)してくれる人がいなかったら、その鷹とい
    う名のように空を飛んで帰ってしまいなさい、
    鷹島の石よ。

    故郷の近くの島から拾った石を座右に置いて愛
    でていた。この石を自分のように大事にする後
    継者のいない事を秘かに想定し、思いを詠んだ
    歌です。
    伏見院は、この石の容器として金色漆箱を作り、
    その表面にこの歌を書いて高山寺に寄進した。

    骨董品を収集している親が、その価値を知らな
    い子が、自分の亡き後に二束三文で手放す事を
    心配している状況です。

 注・・たか島=和歌山県広川町の沖にある鷹島。鳥の
     鷹を掛ける。

作者・・高弁上人=こうべんしようにん。明恵上人のこ
    と。1173~1232。栂尾の高山寺を復興した。

出典・・玉葉和歌集。


わが父も 母もなかりし 頃よりぞ 湯殿のやまに
湯はわきたまふ
                      斉藤茂吉 

(わがちちも ははもなかりし ころよりぞ ゆどのの
 やまに ゆはわきたまう)

意味・・父が母が生まれるはるか以前から、湯殿山では
    ご神体の湯が湧いていらっしゃるのだなあ。

    湯殿山神社に参詣して、32年前に父に連れられ
    て来た時の事を述懐して詠んでいます。
    今では、父は5年前、母は15年前に亡くなってい
    るが、湯殿山神社のご神体である温泉が湧き出る
    巌は昔と少しも変わらない。人のはかなさに比べ、
    湯殿神社のご神体・湯が湧き出る巌は父が、母が
    生まれる以前から同じ姿である事に畏敬の念を抱
    かされる。

    湯殿山神社は「語るなかれ」で有名で芭蕉は奥の
    細道で、曾良と次の句を詠んでいます。

    語られぬ湯殿にぬらす涙かな    芭蕉

    (この湯殿山神社の神秘を人に語るのは許されない
    のだが、それだけに一層湯殿山神社から受けた感動
    が内にこもり、秘かに涙で袂をぬらすことである)

    湯殿山銭ふむ道の泪かな      曾良

    (湯殿山に参詣すると、道には賽銭の銭がいっぱい
    散らばっているが、俗世間と違って、それを拾い
    取る人間はいない。銭の上を踏んでお宮に参詣し、
    これも神のご威光であると感涙にむせんだことで
    ある。)

 注・・湯殿やま=山形県荘内地方の1500mの山で、月
     山、羽黒山と合わせて出羽三山と呼ばれてい
     る。湯殿山には湯殿山神社があり社殿を設けず
     熱湯が湧き出る巌を神体とする。「語るなか
     れ」「聞くなかれ」で神秘性を高め多くの参
     詣者を集めている。

作者・・斉藤茂吉=さいとうもきち。1882~1953。山形
     県上山市で生まれる。東大医科卒。伊藤左千
     夫に師事。「アララギ」を創刊。文化勲章を
     受ける。

出典・・歌集「ともしび」。


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分け入っても分け入っても青い山

                   山頭火 

(わけいっても わけいっても あおいやま)

意味・・いくら進んでも青い山ばかりで街は見えない。
    それでも歩き続けている。

    道なき道を分け入って、どんどん進んでも青い
    山は果てしなく続いている。


    自分の人生の道、俳句の道もいくら模索しても
    これが満足というのに程遠い。    

    「この道やゆく人なしに秋の暮れ」と詠んだ芭蕉
    の孤独と求道に通じています。(意味は下記参照)

       
 注・・分け入っても=「も」は・・だけれどの意。「も」
     を繰り返して、求めているものが中々見つから
     ないもどかさを表している。
    青い山=明るいイメージの言葉は「楽しげで活気に
     富んだものであるが、山頭火の求めた物ではない」
     を強調している。青い山は、人生の生業(なりわい)
     に打ち込む楽しみや家庭の幸せ、そして浮き世の
     華やかな快楽であり、普通の人々が生きている世
     界を意味している。

作者・・山頭火=さんとうか。種田山頭火。1882~1940。
     父の放蕩、母と弟の自殺、家業の酒業の失敗で
     不幸が重なる。大正14年出家し禅僧として行乞
     流転しながら句作。荻原井泉水に師事。

出典・・金子兜太著「放浪行乞・山頭火120句」。


参考歌です。

此の道や行く人なしに秋の暮れ       芭蕉


意味・・晩秋の夕暮れ時、一本の道がかなたに続いて
    いる。その道は行く者もなく寂しげだが、自
    分は一人でその道を通っていこう。

    秋の暮れの寂しさと芭蕉の孤独感を詠んで
    います。「此の道」は眼前にある道と同時に
    生涯をかけて追求している、俳諧の道でも
    あります。

 注・・此の道=道路、まっすぐに通っている一本の
     みち。剣道とか柔道とかいう「道・術」の
     意を掛けている。
    秋の暮れ=秋の日暮れ時。また秋季の終わり。
     寂しさを伴う情景として詩歌に歌われる。

出典・・小学館「松尾芭蕉集」。


     

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