名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年04月


うかうかと 浮き世を渡る 身にしあれば よしやいふとも
人は浮きよめ            
                    良寛

(うかうかと うきよをわたる みにしあれば よしや
 いうとも ひとはうきよめ)

意味・・大事な事をするわけでなくぼんやりとこの
    世を過ごす同じ身であってみれば、たとえ
    良くないと人が批判する遊女であっても、
    同じ世を過ごす人間なのだよ。

    良寛が遊女とおはじきをしたり、手毬を
    ついて遊んでいるといううわさに、弟が
    それとなく批判したので答えた歌です。

 注・・うかうか=心のおちつかない様子。注意の
     たりない様子。ぼんやり過ごす。
    よしや=ままよ、たとえ。不満足ではあるが
     仕方がないと許容する意味。
    浮きよめ=浮き世女。渡世人。

作者・・良寛=1758~1831。

感想・・「うかうか」について考えました。
 
      「うかうか三十きょろきょろ四十」という言葉
    があります。
    大した事もせずにうかうかしていると、すぐに
    三十代になる。何をやろうかときよろきよろし
    ていると、もう四十代。
    これといった仕事もせずに一生を過ごししてし
    まうという譬えです。
    しっかりした目的をもたず、ぼんやり過ごして
    しまってはいけない、という戒めです。
 
    計画表に予定を書き留めてそれを実行している
    人は多い。そのような人は充実した生活を送っ
    ている人だと言えよう。
    予定にはしっかりとした目的が入っていると、
    「充実している」と実感出来るだろう。
    でも、何年かしてこのような生活を振り返って
    見るとうかうかと過ごして来たと思うかも知れ
    ない。
    毎日の日々には満足してるのに・・。
 
    昔と比べて何らかの進歩があれば、うかうかと
    過ごしたと思わないだろう。
    自分の力を出し切っていれば、うかうかと過ご 
    したと思わないだろう。
    人の役に立つ事をして来たという自覚があれば
    うかうかと過ごして来たと思わないだろう。
 
    私はうかうかして古希が過ぎてしまった。
    これからは人の役に立つというより、人に迷惑
    をかけないために持てる力を出して行きたいと
    思っています。
 


みづがきの ひさしき世より ゆふだすき かけし心は
神ぞ知るらん
                    源実朝
             
(みずがきの ひさしきよより ゆうだすき かけし
 こころは かみぞしるらん)

意味・・久しい昔から努力して来た私の心は、神様が
    必ず御覧になっていることだろう。

 注・・みづがきの=瑞垣の。「ひさ(久)しい」の枕
     詞。「瑞垣(みづがき)」は神社の垣の美称。
    ゆふだすき=木綿で作ったたすきのことだが、
     それを掛けるところから、「かく」の枕詞。
           かけし心=何かを行おうとする心、良い事を
     しようとする心、願い事をする心、信仰す
     る心。

 作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。
    28歳。鶴岡八幡宮で甥の公卿に暗殺される。

出典・・金槐和歌集・649。
 
感想・・実朝は何かを継続して行っているのだが、誰
    もそれを知らない、知ってくれない。誰かが
    見ていてくれれば、その行いにも力が入るの
    だか。誰にも知られないでやるのは、励まし
    もなく、やる気が後退しそうだ。
    いやいや、神様や仏様が自分の行いを見てい
    てくれているのだ。続けて努力をしよう。
 
    「天網恢々疎にして漏らさず」という諺があ
    ります。
    天が張り巡らした網は広大で、その目は粗い
    ようだが、悪事を犯した者を漏らす事なく捕
    らえるということ。その反対に良い行いをし
    た人は誰が見ていなくても、その行いは必ず
    報われるという意味です。
 
    実朝の歌もこの諺のように、人知れずとも努
    力をしていれば必ず報われる、と受け取りま
    した。


山ごとに 寂しからじと 励むべし 煙こめたり
小野の山里
                 西行
              
(やまごとに さびしからじと はげむべし けむり
 こめたり おののやまざと)

意味・・一つ一つの山ごとに、庵でそれぞれに孤独に
    堪えて修行に励んでいる人がいるようだ。
    それぞれの立てている煙が一つとなって霞ん
    でいる、この冬の山里では。

    独りでおりながら、同好者のいることの安堵
    感を詠んでいます。

 注・・小野の山里=山城国(京都府)葛城郡小野。比
     叡山の西麓。隠棲の地として有名。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1180。

出典・・歌集「山家集・566」。
 
感想・・「ひとりぽっち」という言葉がある。
    一人ぽっち、独法師とも書くそうです。
    「独法師」は西行の歌にあるように、孤独に
    耐えて修行する法師なのだろう。
        
     一人でいて寂しくても、それは修行。辛くて
    も人に頼らずに耐える、独法師。
 
    やっている事は正しいという信念のもとに、
    誰も理解してくれる人がいなくても、一人で
    も負けずに頑張って行きたいと思います

 注・・修行=我が身に執着せず、我欲を捨てる など
    の努力。
        


何をして 身のいたづらに 老いぬらん 年の思はむ
ことぞやさしき            
                   詠人知らず
                  
(なにをして みのいたずらに おいぬらん としの
 おもわん ことぞやさしき)

意味・・私はいったい何をして、このようにむなしく年
    老いてしまったのだろうか。一緒に過ごして来
    た年が、私のことを何と思っているであろうか
    と、年に対して恥ずかしいことである。
 
    とりたてて言えるような事は何もなく、むなし
    く年老いたと、過去を顧みた歌です。

 注・・いたづらに=無用の状態に、むだに。むなしく。
    やさしき=恥ずかしい。

出典・・古今和歌集・1063。
 
感想・・「身のいたづらに老いぬらん」は充実感のある
    生活をしなくて老いてしまった、何の実績も無
    く虚しく生きて来たということだろうか。
    要するに、充実した生活、虚しくない生き方を
    したいと、詠んだ歌だと思います。
 
    下積みの生活をしていて、その日の生活が精一
    杯の人が、食うために働く。力一杯働く。自分
    の時間も無い。この人は不幸せであろうか。
    虚しい生き方をしている人であろうか。
    私は幸せな人と思います。力一杯働いている以
    上、充実した生活をしている人だと思います。
 
    苦労せずとも標準以上の生活出来る人。この人
    は楽が出来て自分の時間も持てる人です。
    このような人は幸せな人だろうか。
    自分の時間を有効に使わなければ、充実感が少
    なく、時には虚しい思いになるのではなかろう
    か。こんな場合は不幸せだと思います。
 
    虚しい思いになるかどうかは、自分の持てる力
    を力一杯発揮出来たかどうかのような気がしま
    す。充実した生活も何かに打ち込んだ姿にある
    のではないだろうか。


しかりとて 背かれなくに 事しあれば まづ嘆かれぬ
あな憂世の中
                   小野篁

(しかりとて そむかれなくに ことしあれば まず
 なげかれぬ あなうよのなか)

意味・・いやな世の中だと言ったって、すぐさま逃げ
    出すわけにはいかないさ。何か事が起きれば
    最初に出るのはいつも嘆息。ああ、いやだ、
    この世の中は。
 
 注・・しかりとて=そうであるからといって。
    背かれなくに=世を背いて出家・遁世出来る
     ものではない。
    事しあれば=何か一大事があればいつでも。
     「し」は強調の助詞。
    あな憂世の中=この世の中、ああ辛いことよ。
     「あな」は感動詞。

作者・・小野篁=おののたかむら。802~853。従三位・
     左大弁。遣唐使に任ぜられたが拒否した為
     隠岐に流罪になる。漢詩人として有名。

出典・・古今集・936。
 
感想・・「あな憂世の中」について。
    あらゆる苦しみ、困難に直面して解決に苦労
    する事を四苦八苦という。
    これを「あな憂世の中」、なんと辛い世の中
    だろうと詠んだ歌です。

    四苦八苦は、生苦・老苦・病苦・死苦の事で
    あり、八苦は四苦に愛別離苦・怨憎会苦(おん
    ぞうえく)・求不得苦などを加えたものです。
    老・病・死は肉体的苦痛を伴う事が多いが、
    老・病・死を縁とする精神的苦悩が強く感ぜ
    られる事も多い。老・病・死による自分や家
    族の生活不安とか、地位・名誉・権力などの
    喪失を恐れるなどのために苦悩が生じる。

    愛する人々と生別・死別する事の苦痛。嫌い
    な憎い人々と出会い共に暮らす事は苦悩の種
    となる。求不得苦、思い通りにならない事か
    ら生ずる苦である。欲求が充たされない事か
    ら起こる苦悩。

    この様な諸々の苦悩が、「事しあれば」ああ、
    いやだ、この世の中はとため息が出る。
 
    これら多くの苦悩は誰にも経験する事です。
    苦悩に直面した時に、自分一人が苦しんでい
    ると思えば、苦痛は大きくなるものです。
    自分だけが苦労しているのではない、他の人
    も悩んでいる、と思えばいくらかでも苦しみ
    が和らぐのではないだろうか。

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