名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年03月


水の上に かづ書くよりも はかなきは おのが心を
頼むなりけり          
                   良寛

(みずのえに かずかくよりも はかなきは おのが
 こころに たのむなりけり)

意味・・水の上に数を書くことよりもはかないのは、
    自分の心をあてにすることである。

    自分の心を当てにするということの一例とし
    ては、相手の気持ちが自分の思うように変わ
    って欲しい、と思うなど。

    参考歌です。 
   「ゆく水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を
    思ふなりけり」   (意味は下記参照)。

 注・・はかなき=儚き。頼みにならない。かりそめ
     のことである。
    頼む=あてにする、期待する。

作者・・良寛=1758~1831。新潟県出雲町
     に左門泰雄の長子として生まれる。幼名
     は栄蔵。
 
出典・・谷川敏朗著「良寛全歌集」。

参考歌です。
ゆく水に 数書くよりも はかなきは おもはぬ人を
思ふなりけり 
                  在原業平
 
(ゆくみずに かずかくよりも はかなきは おもわぬ
 ひとを おもうなりけり)

意味・・流れる水に数を書いてもはかなく消えるもので
    ある。それよりももっとはかないのは、思って
    くれない人を思うということである。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。
    従四位・美濃守。

出典・・伊勢物語・50段。
 
感想・・水に筆で数を書いてもすぐに消える。頼りの
    ないことの例えです。
 
    日常生活であることだが、自分は相手より上
    だ、相手より強いのだ、相手に貸があるのだ
    といような潜在意識があるものです。
    それで自分が言ったことを聞きとげて欲しい
    と相手に対して思うものです。
    ところが相手は聞いてくれずに反発してくる。
    そこで喧嘩になる。
    どちらも自分が正しいと思っているので譲ら
    ない。仲が悪くなったままになる。
 
    良寛は相手が自分の思うままになる、という
    ことは水に字をかくようなもの、当てにして
    駄目だと言っている。
 
    家内に無理を言って来たような気がしてくる。


鶯の 声なかりせば 雪消えぬ 山里いかで
春を知らまし
               藤原朝忠 

(うぐいすの こえなかりせば ゆききえぬ やまざと
 いかで はるをしらまし)

意味・・もしも鶯の声が聞こえなかったならば、雪が
    消え残っている山里では、どうして春の到来
    を知ろうか。

作者・・藤原朝忠=ふじわらのあさただ。910~966。
     従三位中納言。三十六歌仙の一人。
 
出典・・拾遺和歌集・10。
 
感想・・雪が降り積もっている寒い冬。早く春が来ない
    かなあと待ち遠しい。そんな時に鶯の鳴き声が
    聞こえた。寒いがもうすぐ春だ!もうしばらく
    の辛抱だ。頑張ろう、という気持ちを詠んでい
    ます。
 
    希望を持つ、希望があると人は苦しい事にも耐
    えられるものです。
    走っていて苦しい。でもゴールまではもうすぐ
    そこだと思えば、苦しさに耐えてゴールを目指
    す。がゴールが分からなければ、苦しさに耐え
    きれず力が出ない。
 
    希望を持つことの大切さを教えられる。
    ではどうしたら希望を持つことが出来るだろう
    か。
    病気で苦しんでいる、ブログを続けたいがスラ
    ンプに落ち込んでいる・・と。何かに落ち込ん
    いる状態の時、希望を持つことが大切です。
    病気に苦しんでいる時は、治った時の嬉しさを
    夢見る。
    ブログを続けるのにスランプに落ち込んだ時は、
    いつか出来た時の喜びを夢見る。
    そして、病気の治る希望を持つ、ブログをいつ
    か続けたいと希望を持つ。
    とにかく、希望を持つことが、力の出る泉だと
    思う。
 


何か思ふ 何をか嘆く 世の中は ただ朝顔の
花の上の露
                詠み人知らず

(なにかおもう なにをかなげく よのなかは ただ
 あさがおの はなのうえのつゆ)

意味・・何を思い煩(わずら)うのか。何を嘆くのか。
    この世の中はただ朝顔の上に置いた露のよう
    にはかないものなのに。
 
 注・・何か思ふ何をか嘆く=「か」は疑問の助詞だ
     が、そうすることはないではないかという
     心でいう。
 
出典・・新古今和歌集・1917。

    参考歌です。

消えぬまの 身をも知る知る あさがほの 露とあらそふ
世を嘆くかな           
                    紫式部

(きえぬまの みをもしるしる あさがおの つゆと
 あらそう よをなげくかな)

意味・・朝顔はまたたくまにしぼんでしまう。それは知って
    います。それを知りながら、露と長生きを争ってい
    るようなもので、世の中のはかなさを思わずにいら
    れない私なのです。

    顔の美しさを誇りにしていた友人が、疱瘡にかかり
    顔にみにくい痘痕(あばた)が残り、生きる気力を無
    くしたので励ますために贈った歌です。

    人間は、しょせん短い命なので、争わず(恥を気にせ
    ずに)自分なりに力一杯生き抜いて欲しいという気持
    の歌です。
 
出典・・紫式部集。
 
感想・・新古今の歌は、清水寺の清水観音に、悩みで身が衰
    弱し治療の効果も表れない事を訴えた女性に元気を
    出すために示され歌です。
    辛いだろうが、嘆きたいだろうが、嘆いている間に
    人生は花の露のように、あっという間に終わってし
    まうものだ。思い煩い、嘆くことはないではないか、
    といっている。
 
    あっという間に終わる人生だから悩むなといっても
    人生が短いと感じるのは、年老いてからである。
    悩んでいる人には薬にはならない。
    悩み抜いている時は「露の世」なんてそんな事は思
    わない。悩みから早く立ち去りたいの一心です。
 
    現実は時が解決してくれる。
    早く悩みを解決させるには、自分の苦悩よりひどい
    人と比較してあの人よりは良い、と慰めることだ。
    例えば、疱瘡で痘痕が残っても、頭痛のあの痛さが
    残らなかっただけでも良かった。
    目が見えなくならなくて良かったと。
    または、仏様の気持ちになり、自分の苦しみを他の
    人に味わさないようにしていこうと考えられたら、
    苦痛も和らぐかも知れない。
 
    (私の経験では、5年前に帯状疱疹が顔に出来、痘痕
    が一か月ほど残った、片目も2週間くらい見えなかっ
    た、頭痛は4年間も続いた)


道野辺に 阿波の遍路の 墓あはれ  
                  
                      高浜虚子
              
(みちのべに あわのへんろの はかあわれ)

意味・・成し遂げたい願いを秘めての阿波巡礼に旅立った
    お遍路さんだが、途中で病に倒れ身元不明のまま
    土葬され墓が建てられたのだろう。どんな願いを
    持っていたのであろうか。全く願いがかなえられ
    ずに無念の気持で死んでいったのであろう。あわ
    れに思われることだ。

 注・・道野辺=道ばた。
    阿波=今の徳島県。
    遍路=祈願のため四国八十八箇所を巡ること。巡礼。

作者・・高浜虚子=1874~1959。小説家。正岡子規と交際。
 
感想・・成し遂げたい願いを秘めたお遍路さんは道半ばで倒
    れてしまった。願いが叶えられず哀れに思われます。
    どんな願い事を持っていたのだろうか。
 
    お遍路さんだけでなく、神社やお寺にお参りして願
    い事をする人は多くいます。
    神様や仏様は願い事を叶えてくれるのだろうか。
 
    お寺や神社で一二回の願い事をしただけでは叶えて
    くれないと思います。
    でも100回参詣して願い事をすれば叶えてくれると
    思います。
    願い事が仏様や神様に分かるように、詳しく声を出
    して願い事をする。
    100回お参りして願い事をすることは、その願い事
    に強い意志があることになります。
    必ず実現させたい、必ず願いを叶えるぞ!という意
    志。この強い意志があれば半分は叶えられたのと同
    じです。
    後は実行です。
    * 期限を設けて具体的な目標を立てる。
    * 目標達成のためにやるべき事を計画表にする。
    * 計画表に従って日々実行する。
    * 計画通りに実行出来ているか確認する。
    
    この実行が難しければ省いても、効果はゼロにはな
    らない。
    神社やお寺に100回お参りに行けなくても、その方
    向に向いてお願いごとをする。
 
    私は現在右の膝が痛みます。この膝痛を治したい。
    また、山岳トレイル(山歩き)の大会を申し込んでい
    ます。これをなんとか完走したいと思っています。
    これらの願い事を叶えるため、山歩きをして、足を
    鍛えています。
 
    お遍路さんの気持ちになって願い事を叶えたいもの
    です。
 


消えぬまの 身をも知る知る あさがほの 露とあらそふ
世を嘆くかな           
                    紫式部

(きえぬまの みをもしるしる あさがおの つゆと
 あらそう よをなげくかな)

意味・・朝顔はまたたくまにしぼんでしまう。それは
    知っています。それを知りながら、露と長生
    きを争っているようなもので、世の中のはか
    なさを思わずにいられない私なのです。

    顔の美しさを誇りにしていた友人が、疱瘡に
    かかり、顔にみにくい痘痕(あばた)が残り、
    生きる気力を無くしたので励ますために贈っ
    た歌です。
    人間は、しょせん短い命なので、争わず(恥を
    気にせずに)自分なりに力一杯生き抜いて欲し
    いという気持の歌です。
 
作者・・紫式部=むらさきしきぶ。生没年未詳。990年頃
    活躍した人。「源氏物語」。「紫式部日記」。
 
出典・・ライザーダルビー著・岡田好恵訳「紫式部物語」。
 
感想・・「不幸」についての考え方の一つ、二つです。
    五木寛之のエッセイ「遊行(ゆぎょう)の門」より。
    「地獄のような時代では、人は生きているだけで
    価値がある」
 
    疱瘡になって、親は助からないと思っていた命だが
    それが助かった、助かって良かったと思うはずです。
    ところが、若い女性としてはこんな醜い顔になるの
    なら、いっそう死んでしまった方が良かったと思い
    ます。将来の希望が無くなったからです。
    親は地獄と比較して今の方が良いと思い、娘は極楽
    と比較するので、もうだめだと悲しむ。
    娘は親の気持ちになれれば良いがそれは出来ない。

    この娘を励ましたのが紫式部です。
    所詮人生は短いもの、不幸に思っても幸福に思って
    いてもあっという間の人生。不幸を気にしていても
    すぐに終わる人生です。不幸を気にせず、痘痕(あば
    た)も恥ずかしがらずに、今を一生懸命生きて欲しい
    と慰めています。
 
    また、小説家の童門冬二は、次のように言って慰めて
    います。
     童門冬二の小説「山本常朝」より。
    「人間の生き方には二通りあると思う。
     つまり、自分が経験した不幸を、その後の生き
     方にどう活用するかということだ。
     ひとつは、自分の不幸を世の中への対抗要件に
     して、仕返しをしてやろうとか、報復してやろ
     うと思う生き方だ。しかしこれは自分の不幸の
     活用ではない、悪用だ。つまりその動機はすべ
     て私心だからだ。私欲だ。自分がこれだけ不幸
     な体験をしたのだから、世の中のあらゆる人間
     にも不幸をばらまき、汚染させてやろうという
     考えだ。これは間違っている。
     反対にもうひとつの生き方は、自分の不幸をバ
     ネにして、正しく生きようと努力することだ。
     そして、自分が体験した不幸は絶対に他人に味
     わせてはならない。そのために自分は自分の不
     幸を押し隠して、あくまでもそれを忍び、耐え、
     世の中の人を喜ばせようとだけ 考えることだ。
     これは自分の不幸を活用している事になる。」

 
    不幸の対抗要件としての仕返しとは、将来に希
    望を無くして生きる生き方です。
      痘痕が残っていても明るく生きていれば、周辺
    の人々も気持ちよく思います。
    反対に痘痕を気にして生きる気力を無くしてい
    ると周辺の人は暗くなります。結果的に自分の
    不幸の仕返しとして周辺に報復した生き方にな
    ってしまいます。
    この不幸を、自分だけに終わらせて、他人には
    味わせたくないと考えることだと言っています。
    でもこのことは本人が明るくなれないと出来る
    考えではありません。
 
    明るく考えるには。
    交通事故に会って腕とか足を失った事を考える
    と大変な不幸です。事故に会った本人としは、
    足や腕を無くす代わりに痘痕が残っている方が
    いいと思うかもしれません。
    この事故に会った人は生きる気力を無くしてし
    まうでしょうか。
    交通事故に会えばそれなりの保険金が入ります。
    そして、事故の苦しみを和らげてくれると思い
    ます。
    痘痕が残っても生命保険に入っていればやはり
    保険金が入ります。
    保険金が入れば苦悩も半減するのではないかと
    思います。
    どんな状況におかれても考えようで苦痛も少な
    くなる思います。
    明るく振舞って、自分の不幸を他人には味わせ
    たく無いと考えられれば素晴らしいと思います。
    
 

このページのトップヘ