名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年03月


春なれや 名もなき山の 薄霞
                  芭蕉
                  
(はるなれや なもなきやまの うすがすみ)

意味・・ああ、いよいよ春が来たのだなあ。春の大和路
    を心に描きながらたどる山路の、四方の名前も
    知らぬ山々に一刷毛(ひとはけ)霞が棚引いて見
    える。気持ちの良い景色だ。

    詞書は奈良に出る道すがらです。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。「野ざらし紀
    行」「奥の細道」。

出典・・野ざらし紀行。
 
感想・・「春なれや」がいい。
    待ちに待った春がやっと来たという気持ちです。
    現在のように暖房がある生活では、この気持ち
    は弱くなります。
 
    「野ざらし紀行」の中に。「野ざらしを心に風の
    しむ身かな」と詠んだ句があり、野ざらしになっ
    て死ぬかもしれない覚悟の旅立ちです。
    冬の寒い中、歩いて旅を続ける。その厳しさを経
    験した後の、やっと春になった嬉しさを詠んでい 
    ます。
    苦しく厳しい体験をした後の安らぎは、嬉しさが
    一層こみあげて来ます。                     削除
 


世の中は 七たび変へん ぬば玉の 墨絵に描ける
小野の白鷺
                 良寛
               
(よのなかは ななたびかえん ぬばたまの すみえに
 かける おののしらさぎ)

意味・・世の中に対する態度・心の持ち方を七度変えて
    みよう。墨で雪野の白鷺を描く事が出来るよう
    に、不可能に見えたものも、可能になるものだ。

    一例です。
    世の中には嫌いな人はいるものです。
    あっ、また嫌な事を言って来た。だから嫌いだ。
    こんな時、知らぬ振りして逃げたり、文句を言
    い返したりする。
    こんな時に良寛はもっと穏やかになりなさいと
    言っている。
    七回自分の気持ちを整理すると、嫌に思う事も
    そうでは無くなると言っている。
 
    相手の言い分は無理を言っているのだろうか。
    自分が相手の立場なら言わないだうか。
    相手は辛い事を抱え込んでいるのではなかろうか。
    自分は反省をする事はないのだろうか。
    相手に嫌な事をしているのではないだろうか。
    相手の言い分は正しいのではないか。
    相手の欠点ばかり見てはいないか。
    ・・・・・・
     嫌な事があったら、カッカする前に十数えて見よ
    と昔の人は言っている。
 
 注・・ぬば玉の=「墨」の枕詞。
    小野=野原。ここでは白い雪のある野原の意。
    墨絵に描く白鷺=技術の上達によって不可能も
     可能になる事の意。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
 
出典・・良寛全歌集・497。
 


阿耨多羅 三藐三菩提の 仏たち わが立つ杣に
冥加あらせたまえ
                伝教大師

(あのくたら さんみやくさんぼだいの ほとけたち わが 
 たつそまに みょうがあらせたまえ)

詞書・・比叡山中堂建立の時。

意味・・最上の知恵を持たれる仏たちよ。私の入り立つこの
    杣山に、冥加をお与えください。

    根本中堂の建立にあたり、1000年後の世界にも、
    活き活きした姿であって欲しいと願った歌です。

 注・・阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさん
    ぼだい)=梵語で、仏の最上の知恵。
    杣(そま)=「杣」は材木を切り出す山。ここでは
     比叡山をさす。
    冥加=目に見えない神仏の加護。
    比叡山中堂=大津市にある比叡山延暦寺の本堂。
     根本中堂。788年建立された。

作者・・伝教大師=でんぎようだいし。766~822。比叡山
    延暦寺を建立。天台宗の開祖。僧名は最澄。
 
出典・・新古今和歌集・1921。
 
感想・・この歌は比叡山本堂建立の時に詠んでいます。
    この地に立派な本堂が建立出来たらいいななあ、
    というのではなく、必ず立派な本堂を建立する
    という情熱が歌われています。
 
    「念ずれば花開く」という詩人の坂村真民さん
    の言葉があります。
    一つの願い事をいつも心にとどめ、成し遂げよ
    うと思っていると成就の花が咲くということで
    す。
    「あのくたら さんみやくのさんぼたい・・」
    の歌は
    これを必ず成し遂げたい、今のこの苦難から必
    ず立ち上がりたい、などの願い事を心に常に持
    ち、念ずることが大切だと言っているように思
    います。



山城の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ
秋は散りけり
               柿本人麻呂
          
(やましろの くせのさぎさか かみよより はるは
はりつつ あきはちりけり)

意味・・ここ山城の久世の鷺坂では、神代の昔からこの
    ように春には木々が芽ぶき、秋になると木の葉
    が散って、時は巡っているのである。
 
    たえず往還する鷺坂の景が、いつの年にも規則
    正しく季節に応じて変化する様を、神代の昔か
    ら一貫してこうだったのだと感動した歌です。

 注・・山城の久世の鷺坂=京都府城陽市久世神社の坂。
   萌(は)り=春に草木の芽や蕾がふくらむこと。

出典・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年未
    詳。710年頃の宮廷歌人。
 
出典・・万葉集・1707。

感想・・春には木々が芽吹き秋には木の葉が散る、この事
    は神代から続いている、と言っている。
    神代から続いている事例には、朝日が東から出る
    と月は西に沈む、と柿本人麻呂は次の歌でも言っ
    ている。
 
    「東の野にかぎろひの立つ見えて、かへり見すれ
    ば月かたぶきぬ」(万葉集・48)
 
    (東方の野には曙の光が射し初めているのが見える。
    後ろを振りかえって見ると、西の空には月が傾い
    て没しようとしている。)
 
    毎年春には木々が芽吹き、毎日朝日が出る、と誰
    もが否定しない当たり前の事を言っている。
    何故、柿本人麻呂は当たり前の事を問題提起した
    のだろうか。
 
    「東の野に・・」の歌の前に人麻呂は長歌を詠ん
    でいます。
    人麻呂が軽皇子のお伴をして安騎野(あきの・奈良
    県宇陀郡)に来た折、かって軽皇子の父君である草
    壁皇子の狩のお供をして安騎野に来た事を回想し、
    草壁皇子に対する追憶と憂愁を歌っています。
    草壁皇子はこの時点で亡くなっているという事です。
 
    草壁皇子らの関係者の年齢を見ると皆若死にしてい
    ます。
    大友皇子(39代天皇、648-672。24才)
    大津皇子(天武天皇の子、663-686。23才) 
    草壁皇子(天武天皇の子、662-689。27才)
    軽皇子(42代天皇、草壁皇子の子、683-707。24才)
 
    この頃壬申の乱(672年)があり、大友皇子と大海皇
    子(40代天武天皇)が争い、大友皇子は自害。
    また、大津の皇子は草壁皇子への反逆で惨殺されて
    います。
 
    人麻呂は宮廷歌人なので天皇や皇子と接触してい
    ます。
    皇子が人寿を全うせずに若死にしているのに心を
    痛めていたと思います。
    自然は全く変わらずに運行しているのに、人は寿
    命を全う出来ない。
    自然と同じような態度で過ごせば、欲望を前面に
    出さないという態度で過ごせば、いいのだと。
 
    相手が困っても自分の欲望を満たしたいとなれば
    争いになる。
    その争いが、人寿を全う出来ない原因だと見てい
    ます。争いの無い世の中になって欲しいと。
 
    参考の言葉です。
 
    あらゆる苦しみは
    自らの幸せを追い求めることより生じ
    悟りは
    他者のためを思うことにより生ずる
    それ故、自己の幸せと
    他者の苦しみをまさしく交換する
    それが菩薩の実践である。


むかし思ふ 草の庵の 夜の雨に 涙な添へそ
山ほととぎす
                藤原俊成 

(むかしおもう くさのいおりの よるのあめに なみだ
 なそえそ やまほととぎす)

意味・・かって公卿(くぎょう)として宮中に出仕していた
    頃の昔の事を思いながら、今はこの侘び住まいの
    中で、しみじみと涙を催させる夜の雨に、さらに
    悲しい涙を添えてくれるな、山ほととぎすよ。

    この歌は、白楽天の次の詩を踏まえて詠んだ歌
    です。
    「蘭省(らんせい)花の時の錦帳(きんちょう)の
    下(もと) 廬山(ろざん)の雨の夜の草庵の中」

    (かって朝廷に仕えていた頃は、花の季節には、
    綾織の帳の下で、栄誉の毎日を過ごしていたが、
    今は廬山にあって、雨の夜、草庵の中で侘びし
    く暮らしている)

    また、「山ほととぎす」は蜀の望帝の魂が化し
    てほとどぎすになったという中国の伝説にもと
    づいています。
    その説話は、
    「蜀の最後の王、望帝は位を人に譲り、逃亡し
    た。後に王位に復しようとしたが、失敗して死
    に、ほとどぎすに転生して、春が来るたびに昼
    も夜も悲しい声で鳴(泣)いた」というものです。

 注・・昔思ふ=公卿として宮中に出仕していた頃の昔。
     正三位・皇太后宮大夫として出仕、63歳の時
     出家した。
    草の庵=侘びしい住まい。
    蘭省(らんせい)=宮殿のこと。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1113~1204。
    正三位・皇太后宮大夫。「千載和歌集」の撰者。
 
出典・・新古今和歌集・201。
 
感想・・この歌を読んで昔の会社の出来事を思い出しま
    した。
    若い頃の事、上司の掛長がいました。好きなタ
    イプの上司ではありませんでした。それでもハ
    イハイと素直に言う事を聞いていました。無理
    な事を言われても仕方なしにやるという態度で
    す。でも掛長の立場にすれば、良く言う事を聞
    く部下の一人でした。
 
    その後私は職場を変わり、協力会社を使う立場
    になりました。元の上司の掛長も出向して課長
    として協力会社に来ました。
    その課長が私に頼み事をしにやって来ました。
    今は課長、昔は上司の掛長。その立場で私に頼
    み事をしました。
    元の上司の立場のつもりで頼みをするので、私
    はその頼みを断りました。昔の嫌なイメージも
    ありました。
    下手に出ていれば頼み事を聞いたのですが。
    
    その時の昔の上司の掛長の気持ちはどう思った
    事でしょうか。
    上記の歌「むかし思ふ草の庵の夜の雨に涙な添
    へそ山ほととぎす」の気持ちだと思いました。
    
    その後、私は、力関係はいつ変わるか分からな
    いと思いました。それからは協力会社の人達も
    同じ社員という気持ちになって無理難題を押し
    付けないようにしました。
    相手の身分での対応ではなく、誰にでも誠意の
    ある対応でなければいけないと思いました。

このページのトップヘ