名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年02月


世の中の 憂きも辛きも 今日ばかり 昨日は過ぎつ
明日は知らず
                  作者不明   

(よのなかの うきもつらきも きょうばかり きのうは
 すぎつ あすはしらず)

意味・・世の中には嫌な事もあれば辛い事もある。だが、
    嫌な事や辛い事をいつまでも引きずっていても
    どうしようもない。どんなに大変な事でも今日
    だけの事であり、時とともに過ぎて行く。そし
    て明日の事は誰にも分らない。いつまでもくよ
    くよしないで、嫌な事や辛い事はぱっと忘れて、
    ケセラセラで行こうじゃないか。

出典・・山本健治著「三十一文字に学ぶビジネスと人生
     の極意」

参考歌です。   

世の中を 何にたとへむ 朝ぼらけ 漕ぎ行く舟の
跡の白波
               沙弥満誓
    
(よのなかを なににたとえむ あさぼらけ こぎゆく
 ふねの あとのしらなみ)

意味・・この世の中を何にたとえようか。夜明け方に
    漕ぎ出して行く舟の跡に立つ白波のように、
    立ってはすぐに消え行くはかないものだ。

    人の噂も75日という。悪い噂をたてられて
     も、せいぜい75日ぐらいだから、噂を気に
     するなと言っている。このように良きにしろ、
     悪しきにしろ、嬉しいこと苦しい事も思い出
     になり、忘れられ、そしていつかは消えてな
     くなって行く。

 注・・世の中を何にたとへん=無常な世を比喩で示そ
     うとしたもの。
    朝ぼらけ=夜明け方の物がほのかに見える時分。
     春の「曙」に対して秋・冬の季節に用いる。
    漕ぎ行く舟の跡の白波=舟の航跡はすぐに消える。

作者・・沙弥満誓=さみのまんぜい。生没年未詳。美濃守・
     従四位下。721年に出家。大伴旅人・山上憶良
     らと親交。
 
出典・・拾遺和歌集・1327。
 
感想・・嫌な事 や辛い事をいつまでも引きずっていても
    どうしようもない。けれども、嫌な事が解決して
    いなければ解決する時まで引きずることになる。
    嫌な事や辛い事をぱっと忘れられたら、どんなに
    いいだろうか。
 
    人の噂も75日とよく言われる。悩み事も嫌な事
    も何もかも時が解決してくれるということです。
    時間が経てばなにもかも解決しているという事
    です。
 
    辛い事、悩み事があればそれを引きずるので他
    の仕事に身が入らない。楽しくない。ではどう
    したらよいのか。
    悩み事は解決していなくても、一旦横に置いて
    おく事は出来る。横に置いている時はその事を
    一切思わないようにする。そして他の仕事に何
    事も無い気持ちでかかる。
    他の仕事が終わたら、再度悩みについて取り組
    む。解決出来なければ、また横に置いて置く。
 
    悩み事が忘れられなくても、一旦横に置いて引
    ずらないようにしたいものです。
    何事も時が解決してくれる。75日の辛抱と思っ
    て気楽になりたいものです。


落ちて行く 身と知りながら もみぢ葉の 人なつかしく
こがれこそすれ
                    皇女和宮

(おちてゆく みとしりながら もみじばの ひと
 なつかしく こがれこそすれ)

意味・・燃えるような紅葉の彩りは、しかし、よく見ると
    風に舞って落ちてゆく。その身の不運を知りなが
    らも、その不運を嘆くだけでなく、その一葉一葉
    にも生命があり、それを燃やし尽くしている。
    私は、政略結婚でこれから嫁いで行くのだが、不運
    を嘆くのでなく、相手の心に打ち解け、いちずに
    恋慕い尽してゆかねばと思う。

    徳川将軍家茂(いえもち)に16歳で嫁いで行く道中
    で詠んだ歌です。

 注・・なつかしく=心にひかれる。
    こがれ=焦がれ。いちずに恋したう。思い焦がれ
     る。

作者・・皇女和宮=こうじょかずのみや。1846~1877。
    31歳。政略結婚で14代徳川将軍家茂(いえもち)
    に嫁ぐ。

出典・・松崎哲久著「名歌で読む日本の歴史」。
 
感想・・紅葉はもうすぐ落葉するのは分かっているが落
    葉するまでは、頑張れるだけ頑張って燃えてい
    る。
    皇女和宮は好きな人と結婚出来なかったけれど、
    相手の良さを見つけて好きになっていこう、好き
    になるのだと言っている。
    どんな悪条件に置かれても、希望を失わずに力一
    杯生きる姿が素晴らしい。


易水にねぶか流るる寒さかな 
                    蕪村

(えきすいに ねぶかながるる さむさかな)

意味・・昔、「易水寒し」と壮士荊軻(けいか)が吟じた
    易水は、今も流れている。ふと水面に目をやる
    と、だれか洗いこぼしたらしい葱(ねぎ)が浮き
    沈みしながら流れてゆく。「壮士一たび去って
    復(ま)た還らず」という詩意も思いあわされ、
    この流れ去る葱の行方を見つめていると、ひと
    しお川風の寒さが身にしみるものだ。
 
      秦の始皇帝を刺すために雇われた剣客、荊軻(け
    いか)が旅立つにあたり、易水のほとりで壮行の
    宴が張らた。そのおりに吟じた詩に、
    「風蕭蕭(かぜしょうしょう)として易水寒し。
    壮士一たび去って復た還(かえ)らず」があります。
         (意味は下記参照)

 注・・易水=中国河北省易県付近に発し大清流に合流
     する川。
    ねぶか=根深。葱(ねぎ)の別称。
    壮士=人に頼まれて暴力で事件の始末をする人。
 
作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。池大
    雅とともに南宗画大家。
 
出典・・おうふ社「蕪村全句集・1412」。

参考の詩です。

風蕭蕭(かぜしょうしょう)として易水寒し。壮士一たび
去って復た還(かえ)らず。

意味・・風はもの淋しげな音をたてて吹き、易水の流
    れは寒々として身にしみてくる。壮士である
    私は、一たびこの地を去って秦に行ったなら、
    二度と生きて帰ることはないだろう。
 
感想・・遊び心ではない旅立ち。一歩間違えると捕え
    られて死刑。緊張感の伴う壮士荊軻(けいか)
    の旅です。
      命がけで挑戦。男心を駆り立てられます。
    冒険家の三浦雄一郎は80才でエベレスト登頂
    を達成した。
    この万分の一でも良い。こういう気持ちにな
    って何かに挑戦したいものです。


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
                紀内侍
            
(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
 とわば いかがこたえん)

意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
    全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
    いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
    か、と問うたならば、どのように答えようか。

後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
    の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)

作者・・紀内侍=きのないし。生没年未詳。紀貫之の娘。

出典・・拾遺和歌集・531。

参考です。
「大鏡」の昔話です。

時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。

どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。

色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。

受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。

探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。

色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。

何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。

美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
  
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
  いかが答へむ」

「帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう」

紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。

慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。

それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。

『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。
 
感想・・思いやりのある明るい歌です。
    紀内侍は鶯を(いつく)しみ、宿を心配
    する思いやり。
    帝は紀内侍が梅の木を大変好んでいる
    への思いやり、そして鶯の事を心配して
    いる紀内侍を理解する思いやり。
 
    思いやりは周囲を和(なご)やかにするもの
    ですね。


鶯の 声なかりせば 雪消えぬ 山里いかで
春を知らまし
               藤原朝忠 

(うぐいすの こえなかりせば ゆききえぬ やまざと
 いかで はるをしらまし)

意味・・もしも鶯の声が聞こえなかったならば、雪が
    消え残っている山里では、どうして春の到来
    を知ろうか。

作者・・藤原朝忠=ふじわらのあさただ。910~966。
     従三位中納言。三十六歌仙の一人。
 
出典・・拾遺和歌集・10。
 
感想・・雪が残りまだまだ寒い冬。だがどこからとも
    なく鶯のさえずりが聞こえて来る。春間近だ
    と思わせる一瞬です。もう少しの辛抱、頑張
    るんだ。春はもう直ぐだと希望が燃えて来る。
 
    今は辛くても、希望が見えてくれば嬉しいも
    のです。元気も出て来る。

    病気の快復が見えた時。運動をしていて練習
    の効果が見え始めた時・・・。
 
    希望が持てる、進歩しているという自覚があ
    ると楽しい。そして、昨日より今日は良かっ
    と思いながら過ごしていけたらと思う。

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