夕暮れは ものぞかなしき 鐘の音を あすもきくべき
身とし知らねば
和泉式部
身とし知らねば
和泉式部
(ゆうぐれは ものぞかなしき かねのおと あすも
きくべき みとしらねば)
意味・・夕暮れはなんと悲しいことだ。入相の鐘を
明日も聞くことの出来る身だとは分からな
いので。
入相の鐘の音を聞いて詠んだ歌です。
病気や事故、会社の倒産などで明日も今日
と同じような鐘の音が聞けるとは限らない、
という気持を詠んでいます。
入相の鐘が明日も同じように聞けるとは限
らないと思うと、この日この日を大切にし
て生きて行かねば、という気持です。
らないと思うと、この日この日を大切にし
て生きて行かねば、という気持です。
西行も同じような歌を詠んでいます。
「待たれつる入相の鐘の音すなり明日もや
あらば聞かんとすらむ」 (山家集)
(今日聞くのが最後かと待たれた入相の鐘が
聞こえて来る。もし明日も命があったなら
再び同じ気持で聞くことであろう)
聞こえて来る。もし明日も命があったなら
再び同じ気持で聞くことであろう)
注・・入相(いりあい)の鐘=夕暮れ時に鳴る鐘の
音。人生の黄昏(たそがれ)を思わせる寂
しさが伴います。
作者・・和泉式部=いずみしきぶ。生没年未詳。10
09年中宮彰子に仕えた。
出典・・詞花和歌集・357。
音。人生の黄昏(たそがれ)を思わせる寂
しさが伴います。
作者・・和泉式部=いずみしきぶ。生没年未詳。10
09年中宮彰子に仕えた。
出典・・詞花和歌集・357。
感想・・義母は46歳の若さで亡くなりました。冬間、
暖房の効いた所からトイレに行って、脳卒中
で倒れてたのです。また知人が出張中に旅館
のサウナに入っていて亡くなった人もいます。
元気な人が翌日には亡くなっていたという事
は何度も聞きます。
でも、それが自分になるという実感は伴いま
せんでした。
ところが、古希を過ぎて体力の衰えを実感す
るようになると、明日は我が身、もありえる
と思うようになりました。
ではどうするか。お迎えが来るまで、日々を
大切に生きたい。充実して生きたい。と思う
ようになりました。
何かに夢中になる。例えば走ること。走って
楽しい思いになればそれを続ける。楽しくな
ければ水泳を始める、これも楽しくなければ
音楽を奏じる、これがだめなら本を読む、仕
事に励む・・。何か楽しめる事に夢中になる。
夢中になれる事は充実した生活を送っている
といえるのではないだろうか。
私は今、心地よさを感じるので、毎日の山歩
きを楽しみにしています。