名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年11月


行く末の 月をば知らず 過ぎ来つる 秋またかかる 
影はなかりき            
                                          西行

(ゆくすえの つきおばしらず すぎきつる あきまた
 かかる かげはなかりき)

意味・・これから先、どんな明月とめぐり合うかどうかは
    分からない。過ぎ去った秋を振り返ってみても、
    このような美しい月をまたと見ることがなかった。
 
    今夜の月は一期一会と、明月の名月たらんとする
    事を、只今現在を存分に観賞しょう、という気持
    で詠んだ歌です。
    
 注・・一期一会=一生一度きりの出会いのことで、人と
     の出会いは大切にすべきという戒め。もともと
     は、茶道の心得の言葉(今日という日、そして
     今いる時というものは二度と再び訪れるもので
     はない。そのことを肝に銘じて茶会を行うべき
     だ)。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・山家集・356。
 
感想・・「名月」を「良き日」と読み替えると、今日は何
    と良き日なんだろう、ということになる。
 
    今までこんな良き日があっただろうかと、喜びを
    噛み締める。
 
    どんな良き日があっただろうか。
    大学に入学出来た時。就職が出来た時。恋人が出
    来た時。難しい仕事をやり遂げた時・・・。
 
    これからも良き日は来るだろう。が、
    今が良き日かも知れない。
    今が良き日だと肝に銘じて兜の緒を引き締めてい
    きたい。



眼も鼻も 潰え失せるたる 身の果てに しみつきて鳴くは
なにの虫ぞも
                   明石海人

(めもはなも ついえうせたる みのはてに しみつきて
 なくは なにのむしぞも)

意味・・病状が進行して、鼻もつぶれ、また眼もいよいよ
    見えなくなってしまった。そんな病み衰えた身で
    あるが、その身に染み通るような清らかな声で鳴
    いている虫がいる。心地いいものだ。なんという
    虫なんだろう。

    明石海人が患っているのはハンセン病です。日本
    ではすでに克服された病となりましたが、かって
    は不治の病として大変恐れられていました。感染
    力はとても弱いのですが、伝染病であるため、患
    者は社会から隔離されて一生を医療施設の中で過
    ごさねばなりませんでした。明石海人も、そんな
    孤独な病者の一人でした。

    ハンセン病が進むと抹消神経に麻痺が起こります。
    視力も臭覚も奪われ残ったのは聴覚だけです。

    病状が進み、行動範囲も狭ばめられて行く中、絶
    望感で生きる望みを失うのではなく、ささやかな
    事にでも喜びを見出して詠んだ歌です。

 注・・なにの虫ぞも=何の虫だろう、と問いかけの言葉。

作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。静岡師
    範学校卒。小学校教師。ハンセン病と診断され長
    島愛生園で療養生活を送る。闘病の歌が「新万葉
    集」に収録される。歌集「白描」。

出典・・歌集「白描」(栗木京子著「短歌を楽しむ」)。
 
感想・・明石海人は小学校の先生をしていて子供も二人おり
    幸せな生活をしていました。
    ところがハンセン病に侵されて一気に絶望の世界に
    落とされました。
 
    この歌を詠んだ時は失明し、気管を患い喉に管を通
    して呼吸する状態でした。それで声も出せない状態
    です。
    このようなどん底の環境、絶望の世界から立ち上が
    り生き甲斐を見出しています。
 
    寝たきりで聴力だけの世界。虫の鳴き声がします。
    清々しく聞こえ、美しい鳴き声の虫と捉えています。
    幸せに見えます。
 
    どこからこのように生きる力が湧き上がっくるのだ
    ろうか。短歌を詠むためには考える、創造する。
    そこに心地良さを感じたのであろうか。


秋近う 野はなりにけり 白露の 置ける草葉も
色変わりゆく
                紀友則 

(あきちこう のはなりにけり しらつゆの おける
 くさばも いろかわりゆく)

詞書・・きちかうの花(桔梗の花)。

意味・・野原はすでに秋が近づいて来た。白露が置か
    れた草葉もだんだん枯れて色づく頃である。

    秋近うは「あきちかう」で「きちかう・桔梗」
    を詠んだ物名入りの歌です。
    桔梗は秋の七草であり、野原には桔梗の花も
    咲いていたと思われます。

 注・・きちかう=「ききやう」と同じ。桔梗。秋の
     七草の一つ。

作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。紀貫之
     の従兄。古今和歌集の撰者。

出典・・古今和歌集・440。
 
感想・・ブログ友、猫の帯さんのこの歌のコメントです。
 
    桔梗の紫、つゆの白、草葉の緑・黄・赤・茶... 空の青。
    美しく彩られて行く秋の景色が目に浮かびます。

    でも、なんだか寂しげな気がします...
    “ふゆどなり“
    石川さゆりの唄う“夫婦三昧“という歌に出てきます。
    初老の夫婦の歌だったと思います。
    私たち夫婦も、そろそろそんな年齢になります...もみじ風に舞う葉
    春夏秋冬、春夏は、夢中で過ごしました...
    今からは、秋...
    人生、それぞれの季節を楽しみたいと思います。(*^_^*)
 
    “夫婦三昧“の歌詞の一節です。
 
     暦をめくれば 冬隣
     苦労しのいで 分け合って
     人生半ばの 折り返し
 
    冬隣の人生を実感するこの頃です。
    その秋を、紅葉が燃え尽きるように、力一杯生きて
    冬を迎えたく思います。
 


世の中は いづれかさして わがならむ 行き止まるをぞ
宿と定むる
                   詠人知らず

(よのなかは いずれかさして わがならん ゆき
 とまるをぞ やどとさだむる)

意味・・移り変わるこの世に、変わらぬ我が宿を求める
    のが無理というもの。足の向くままに歩いて、
    行きどまった所を住まいにしよう。

    参考歌です。
    捨てし身を いかにと問はば 久方の 雨降らば
    降れ 風吹かば吹け
                      良寛 

    俗世間を捨てた身は、どのようであるかと尋ね
    られたならば、雨が降るならば降るのにまかせ、
     風が吹くならば吹くのにまかせて過ごしている
    と、答えよう。
 
 注・・世の中=はかない現世、常なき世の中。
    いづれか=いったいどこが。「か」は反語。
    さして=指して。指定して。
    わがならむ=私の家であろうか。「わが」は
     「わが家」の意。
    いづれかさしてわがならむ=いったいどこが、
     我が家と指定出来ようか、出来ないことだ。    
    行き止まる=あてどもなく歩いて足の止まる
     所。

出典・・古今和歌集・987。
 
感想・・人は自分の思うままに人生が展開するするとは
    限らない。失敗したり、心配事などがあると思
    いつめたりする。心の柔軟な人は、そういう時
    も、まあしようがないと諦めたり、他の道もあ
    ると考え、あるいはやり方を変えたりしようと
    考える。
    どうにもしようがない事や他人からみればどう
    でもない事を、簡単に思いきれる人と、どこま
    でも執着する人もいる。

    物事を思いつめる人に、明日は明日の風が吹く、
    なるようになるさと、表記の歌は呼びかけてい
    る。


完きは 一つとてなき 阿羅漢の わらわらと起ち
あがる 夜無きや
                大西民子 

(まったきは ひとつとてなき あらかんの わらわらと
 たちあがる よるなきや)

意味・・完全な姿を保つ阿羅漢像は一つもない。全て
    どこか欠けたり傷んだりしている。その傷み
    に耐えかねて、わらわらと起ちあがる夜はな
    いか。

    阿羅漢像は、永い歳月の中で、ある者は手が
    欠け、足が損なわれ、首のない者、耳の削(
    そ)げている者など、完全な形を保つ物は一つ
    としてない。こうした傷ましい阿羅漢たちが
    その傷みに耐えかねて、いっせいに起ちあが
    るような夜はないか。

    阿羅漢像のように、傷ついている作者自身の
    心を重ねあわせて詠んでいます。作者の人に
    言うに言われない苦渋を、誰かに知ってもら
    いたい気持ちを歌っています。

 注・・阿羅漢=仏教の修行者で悟りを完全に開いた
     者に与えられる称号。
    わらわら=ばらばらに。うわっと。

作者・・大西民子=おおにしたみこ。1924~1994。
    奈良女子高等師範学校卒。木俣修に師事。
    歌集に「無数の耳」「不文の掟(おきて)」。

出典・・歌集「不文の掟」(笠間書院「和歌の解釈と
    鑑賞辞典」)
 
感想・・腕がもぎれていても、耳が削がれていても
    阿羅漢は笑顔をしている。あたかもこれら
    の苦難に対して、何の苦しみも無いように。

 
    蚊に刺されたら痒く辛いが、掻けば気持ち
    が良い。疲れれば疲れるほどぐっすり眠れ
    て心地が良い。お腹がペコペコの時、何を
    食べても美味い。
 
    阿羅漢は痛い目にあったら、その分いい事
    があるんだよと微笑んでいるように見える。
 
    傷ついている阿羅漢のように笑えるように
    なったらいいなあ。
    

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