名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年11月


憂きことの なおこの上に 積もれかし 限りある身の
力試さん
                   熊沢蕃山

(うきことの なおこのうえに つもれかし かぎり
 あるみの ちからためさん)

意味・・つらいことがこの身に降り掛かるなら降り掛かれ。
    限りある身だけれど、自分の持てる限りの力で、
    どこまで出来るか試してみようではないか。

作者・・熊沢蕃山=くまざわばんざん。1619~1691。陽明
    学者。岡山藩主の池田光政に仕える。著書「源氏外
    伝(源氏物語の注解書)」。
 
感想・・矢でも鉄砲で来るなら来い立ち向かおうという信念。
    少々の辛さなんかには耐えて見せるぞという意気込み。

    どうしたらこんな気持ちになれるのだろうか。
    肉体的に精神的に健康でなければ出来ない。
    それだけでなく、希望に燃えてなければなれない。
    何か志を持って目標に向かっている時はこんな気持
    になれる。必ず達成したいという志が、少々辛くて
    頑張れるものです。
 
    熊沢湛山について。
    熊沢蕃山は陽明学者で日本で始めて庶民の学校を開い
    た人です。洪水や大飢饉に際して農民の救済に尽力す
    る。治山治水に努め災害を軽減させる。藩財政の改革
    を行い守旧派と対立する。幕府の朱子学と陽明学の対
    立。熊沢藩山にとっては「憂き」事だらけ。零細農民
    の為に逃げるのでは無く、積極的に事に当たろう、と
    いう気持ちで「憂き事のなおこの上に積もりあれ」と
    自分の信念を詠んいます。
 


秋風に あへず散りぬる もみじ葉の ゆくへさだめぬ 
我ぞ悲しき                 
                  詠み人知らず

(あきかぜに あえずちりぬる もみじばの ゆくえ
さだめぬ われぞかなしき) 

意味・・秋風に耐え切らないで散っていった紅葉の行方が
    知れなくなるように、行く末のわからないわが身
     が悲しいことです。
 
    「わびぬる状態」すなわち、落ちぶれたり不幸にあ
    ったりして、みじめになった状態を詠んでいます。
 

    フランスの詩人、ヴェルレーヌの詩「落葉」、
    参考です。
              上田敏訳詩・清川妙詩訳

    秋の日の     秋風が     
    ギオロンの    バイオリンの音のように
    ためいきの    すすりなき
    身にしみて
    ひたぶるに 
    うら悲し

    鐘の音に     鐘が鳴ると、
    胸ふたぎ     私は思い出に
    色かへて     胸ふさがれる。
    涙ぐむ
    過ぎし日の
    おもひでや

    げにわれは    そのとき    
    うらぶれて    私の心も萎(しお)れて
    ここかしこ    さながら散り落ちる
    さだめなく    落葉のように・・・。 
    とび散らふ
    落葉かな  

 注・・あへず=耐え切れない。
    ギオロン=バイオリン
            げに=実に。現に、まのあたりに。
    うらぶれて=落ちぶれたり不幸にあったりして、
     みじめなありさまになること。悲しみに沈む
     こと。しおれる。
 
出典・・古今和歌集・286。
 
感想・・儚(はかな)い人生。昨日まで幸せに暮らしていた
    のに、辛いことが降りかかって来たら、これから
    どうしたものか。今までのように幸せに生きて行
    きたい、と思う。
 
    ある日、知人が話していた。
    子育てが終わりやっと楽になるかと思っていると、
    義母の介護の生活が始まった。長年介護の生活が
    続き、その後義母は亡くなった。ホットしたとこ
    ろ今度は主人が,脳梗塞で倒れて介護に追われて
    いると。
 
    鐘の音に 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ
    過ぎし日の おもひでや
    げにわれは うらぶれて ここかしこ
    さだめなく とび散ろう 落ち葉かな


見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の
秋の夕暮れ
                 藤原定家
           
(みわたせば はなももみじも なかりけり うらの
 とまやの あきのゆうぐれ)

意味・・見渡すと、色美しい春の花や秋の紅葉もない
    ことだなあ。この海辺の苫葺き小屋のあたり
    の秋の夕暮れは。

    春秋の花や紅葉の華やかさも素晴らしいが、
    寂しさを感じさせるこの景色もまた良いもの
    だ。

    この歌は、後に「さび」「わび」と結びついて
    賞賛されています。三夕(さんせき)の一つです。

 注・・浦=海辺の入江。
      苫屋(とまや)=菅(すげ)や茅(かや)で編んだ
     むしろで葺(ふ)いた小屋。漁師の仮小屋。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
    新古今集の撰者。

出典・・新古今和歌集・363。
 
感想・・この歌は少し高い丘から海辺を眺めているの
    だろうか。
    周りを見ると草木も枯れて何の精彩もない。
    海辺を見わたすと、砂丘に波が寄せては引い
    ての繰り返し。そこには漁師の物小屋がぽつ
    りとあるだけで人の気配もない。
    ああ寂しい景色だなあ。
    ふと思い出す。少し前はこの辺りは紅葉が真
    っ赤に燃えて美しかった。春は桜の満開が目
    に浮かぶ。夏は漁師が景気よく網を引き揚げ
    ていた。
    思うと寂しい景色になったものだ。この秋の
    夕暮れは。
 


ふるさとの 尾鈴の山の かなしさよ 秋もかすみの
たなびきて居り
                  若山牧水

(ふるさとの おすずのやまの かなしさよ あきも
 かすみの たなびきており)

意味・・少年の頃から親しんだ故郷の尾鈴の山のなん
    と慕(した)わしいことであろうか。秋も昔と
    変らず美しい霞がたなびいている。

 注・・尾鈴の山=宮崎県の日向にある1405mの山。
    かなし=愛し。いとおしい、したわしい。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
    宮崎県の生まれ。早稲田大学卒。尾上柴舟に
    師事。

出典・・歌集「みなかみ」(本林勝夫篇「現代名歌鑑賞
    辞典」)
 
感想・・北九州門司は私の育った故郷であり、300m
    ほどの戸の上山という山があった。近くなの
    でよく登ったものです。頂上からは海が見え、
    船をよく眺めていた。汽笛も近くに聞こえて
    来たものでした。
    それは何十年前の昔になるのやら。懐かしく
    思い出されてくる。
 
    牧水も故郷に戻って来て、友と尾鈴の山に登
    った事を思い出しているのだろうか。
    ああ、あんな時もあったのだ、あの時代が懐
    かしい。その山は今も優しく霞がたなびいて
    いる、と。
    



うら恋し さやかに恋と ならぬまに 別れて遠き
さまざまな人
                  若山牧水

(うらこいし さやかにこいと ならぬまに わかれて
 とおき さまざまなひと)

意味・・好い感じの人だなと出会った時に思った人だが、
    お互いの気持ちを確かめあうこともなく、はっ
    きりとした恋愛にならないまま、いつしか別れ
    た人々。振り返ると懐かしく思い出される。

 注・・うら=なんとなくそんな気がする。例「うら寂
     しい」「うら悲しい」。
    うら恋し=懐かしく思いだされる。恋とはまで
     は行かない淡い関係だったが、なんとなく恋
     しく思われる。
    遠き=実際の距離が遠い、精神的な距離の長さ、
     別れてから経過した時間の長さ、を含める。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
    早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。

出典・・俵万智著「あなたと読む恋の歌百首」。
 
感想・・うーん、そんな人がいるいる、いますね。
    小学校の時も可愛いと思う人がいた。その後は
    全く会わないが、今はどうしているかなあと思
    うことがあった。高校時代も恋の意識はあった
    が付き合いまではしなかった人、その人を思う
    だけでも懐かしい。
 
    入社した頃、会社の山岳部に少しの間席を置い
    ていた。可愛いなあと思う女の子がいて、何回
    か一緒に山に登ったものです。
    その後山岳部を辞めたのでその人と会う機会は
    全く無くなってしまった。
 
    ある日、スポーツジムに通っていると、○○さ
    ん?と声を掛けられた。旧姓の△△ですと言わ
    れ思い出しました。山岳部にいたあの人です。
    四十数年ぶりの再会です。名前を憶えてくれて
    いたのが嬉しかった。懐かしかった。
 
    スポーツジムで頑張っている姿を見てくれたの
    が嬉しかった。
    

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