名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年10月


我かくて 憂き世の中に めぐるとも たれかは知らむ
月の都に              
                  源氏物語・浮舟

(われかくて うきよのなかに めぐるとも たれかは
しらん つきのみやこに)

詞書・・不本意ながら生き長らえて(三角関係に苦悩
    して自殺をはかるが助けられて)、小野の地
    で月を見て詠む。

意味・・私がこうして情けない世の中に巡り巡って、
    生き長らえて月を見ているとは、同じ月が
    照らしているであろう都では誰が知るだろ
    うか。

    自殺を図って助けられたが、苦悩は去らず
    困惑している気持ちを誰も知ってくれる人
    はなく、寂しく月を見ている気持ちを詠ん
    でいます。
 
    浮舟は薫と匂宮との三角関係に苦悩して宇
    治川に投身するが、失神している処を僧に
    助けられ、尼と共に小野の地に住んでいて
    詠んだ歌です。    
   
 注・・小野=京都市左京区上高野から大原の地。
 
出典・・源氏物語・浮舟の巻。
 
感想・・華やかな宮廷生活をしていたのに、自殺行
    為の結果、みすぼらしい生活を余儀なくさ
    れた苦しさを詠んだ歌だと思います。
    昔の同僚が見たらびっくりするだろうし、
    もう会わす顔もない。
 
    このような例が私の身近にあります。
    義弟ですが、今は失業で苦しんでいます。
    以前は景気が良かったので給料も多く、マン
    ションを買ったり、外車を買って乗り回して
    いました。
    ところが、会社の景気が悪くなりました。
    そこて義弟は遠方の地に転勤を命じられまし
    た。義弟はそんな所に行けるかと怒って会社
    を辞めてしまいました。会社の思うつぼです。
    首にしたいところを辞めてくれたので喜んで
    います。
    会社を辞めたのは結果的に自殺行為でした。
    義弟は再就職を試みましたが、給料が安いの
    で、働かずに失業保険と退職金で生活してい
    ました。働かないので退職金も底をつきまし
    た。
    今はどうしているだろうか。月を見ては同僚
    の顔を思い出し、自分がこんなに落ちぶれた
    とは知らないだろうなあと、会社を辞めた事
    に後悔しているだろうか。
 
    人生はちよっとした油断で転落するものです。
    山谷のある人生。谷に落ちた時は歯を食いし
    ばって行かなければより一層の深い谷に落ち
    込むと思いました。


百伝ふ 盤余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 
雲隠りなむ
               大津皇子

(ももづとう いわれのいけに なくかもを きょう
 のみみてや くもかくりなん)

意味・・この盤余の池に鳴く鴨を今日限りに見て、
    私は死んでしまうのであろうか。
    いつも変わらず平々凡々と泳いでいる鴨が
    ああ、羨ましい。

    自己の死を凝視(ぎょうし)して詠んだ辞世
    の歌です。大津皇子は草壁皇子に対して謀
    反の心があるとして殺された。

 注・・百伝ふ=盤余の枕詞。無限に続く意を表し
     第四、五句のはかなさに対比させる。
    盤余(いわれ)=奈良県磯城郡盤余。
    雲隠り=昇天して雲の中に隠れる。貴人が
     死ぬこと。

作者・・大津皇子=おおつのみこ。663~686。23歳。
    草壁皇子への謀反の罪で処刑された。

出典・・万葉集・・416。
 
感想・・大津皇子は、波紋を作って気持ちよく泳いで
    いる鴨が羨ましと思ったことでしょう。鴨の
    ように何の気兼ねもなく過ごせた立場に戻っ
    て欲しい!
 
    山頭火の歌を思い出しました。
 
    今日も事なし凩に酒量るのみ
                      山頭火

    今日も何事も無かったなあと、木枯らしの音を
    聞きながら、静かに酒を量っている。

    なんとなく不満であり、充足しない気分の今日
    この頃である。何かいい事が無いかなあ、胸が
    ときめくような事が無いかなあと期待しつつ、
    今日も普通の日と変わらずに過ぎた。寒い木枯
    らしが吹く中、細々と酒を量って売っている、
    平々凡々の一日であった。

    ありふれた何でも無い様な状態が、実は、いか
    に「幸福」な状態かを詠んだ句です。    
    ある日突然の、大きな病気や怪我・仕事の失敗・
    リストラ・地震や火事・・、この様な不幸事を
    経験すると、平々凡々と過ごせたあの頃に戻っ
    てほしい・・。

    (酒量る=この歌の時期は、酒造業を営んでいた
     ので、酒を量って売るの意)
 
   今日一日を無事に過ごせた事を感謝すべきだと思い
   ました。


萌えいづるも 枯るるもおなじ 野辺の草 いづれか秋に
あはではつべき
               祇王 (平家物語)

(もえいずるも かるるもおなじ のべのくさ いずれか
 あきに あわではつべき)

意味・・春になって萌え出る若葉も、霜に打たれて枯れる
    枯れ草も、もとはといえば同じ野辺の草。一時、
    栄華の差はあるが、いずれ凋落の秋に会わぬわけ
    にはいかないでしょう。
 
      スポットライトを浴びるあなたも、捨てられる私
    も、もとは同じ野辺の草ですよ。あなただってい
    つかは飽きられて捨てられてしまいますよ。

    平家物語に出て来る歌で、祇王が平清盛に捨てら
    た時に詠んだ歌です。
    無常の世界を詠んでいます。幸せに暮らしていて
    も、いつどん底に陥るかも知れない。
    いつそのような試練が来ても耐えられるように心
    の準備をしていて欲しいと祇王はあなた(仏御前)
    に訴えた歌です。   
          (平家物語・祇王のあらすじは下記参照)
      
 注・・枯るる=「離るる」を掛ける。
    秋=「飽き」を掛ける。
    あはで=「会はで」と「泡で」を掛ける。
    
作者・・祇王=平家物語「祇王」に出て来る主人公で21歳
    の白拍子。

平家物語・祇王のあらすじ。

昔、太政大臣平清盛公、出家してからは浄海と申し上げる
お方がいらっしゃいました。天下の権力を一手に握り、傍
若無人に振る舞っておいででした。そのころ都に祇王(ぎお
う)・祇女(ぎにょ)という有名な白拍子(しらびょうし)の姉
妹がおりました。(白拍子というのは、今様という流行歌を
歌ったり舞を舞ったりする女の芸能者のことです。)清盛公
は、祇王をことのほかお気に召していらっしゃいました。
そのおかげで、妹の祇女や母の刀自(とじ)も丁重に扱われ、
立派なお屋敷を建てていただき、毎月たくさんのお扶持を賜
って、何不自由なく豊かに暮らしておりました。都の白拍子
たちはみな、祇王を羨らやんだり妬たんだりしていました。
ところがそうして三年ほどたった頃、仏御前(ほとけごぜん)
という十六歳の白拍子が都にやってきて、古今まれなる舞の
名人と大評判になりました。仏御前は、「同じことなら天下
の清盛公の御前で……」と思い、西八条にある清盛公のお屋
敷へ自ら参上しました。祇王に夢中の清盛公は、「召しても
おらぬに、突然参るとは無礼な」と怒り、追い帰そうとなさ
いました。しかし、まだ幼い仏御前に同情したのでしょうか、
祇王が「せめてお会いになるだけでも」と取りなしましたの
で、清盛公も折れて、仏御前をお召しになりました。
仏御前は、清盛公のご命令で今様を歌い、舞も披露しました。
姿形が美しい上に、声がきれいで歌は上手、もちろん舞も引
けを取るものではありません。その舞いぶりに感心した清盛
公は、仏御前をすっかり気に入って、屋敷に留め置こうとな
さいました。仏御前にとって、祇王は恩のある人。その祇王
に遠慮して退出することを願いましたが、清盛公はお許しに
ならず、それどころか「祇王を追い出せ」とのご命令です。
催促のお使いが何度も参りましたので、祇王はやむなく出て
行くことにしました。さすがに三年も住んだ所ゆえ、名残惜
しさもひとしおです。襖にこのような歌を書き残してから、
車に乗り込みました。

萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に
逢はで果つべき

(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局
 みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。人も
 また、誰しもいつかは恋人に飽きられてしまうのでしょう)

実家に戻った祇王は、母や妹の問いかけにも泣き伏すばかりで
す。やがて毎月のお扶持も止められて生活は苦しくなり、代わ
って仏御前の縁者が富み栄えるようになりました。祇王が清盛
公に追い出されたと聞きつけて、手紙や使者を遣わす男たちも
おりましたが、祇王は今さら相手にする気にもなれず、ただ涙
にくれる日々でした。・・・。
 
感想・・千変万化の無常の世界。良い方向ばかりに変化して
    くれれば良いのだが、悪い方向にも変化する人の世。
    仏午前が現れなければ、祇王の身分は安泰であり続
    けていただろうか。
    病気になったり、嫉妬や妬みに負けたり、主人の平
    清盛が落ちぶれたりすると、今の地位をやはり去ら
    ねばならない。
    
    私自身、気力がなえて鬱になったり、癌になったり
    と、無常の風が吹いた時に耐える心の準備をして置
    かねばと思った。

風雪に身を屈するは快し
                 瀧春一

(ふうせつに みをくっするは こころよし)

意味・・風雪に耐え忍ぶ事は、困難や苦労が重な
    りそれに耐えようと意識する時は、
力が
    湧いて来るものでる。

    寒い時に川で水を浴びるような気持ちで
    す。

 注・・風雪=雪や風。艱難辛苦。苦労、逆境。
    身を屈する=くじける、負けて服従する。
     苦難に会って耐えている姿。
    快し=気持ちがよい、楽しい。

作者・・瀧春一=たきはるいち。1901~1996。水原
     秋桜子に師事。

出典・・句集「瓦礫」(松林尚志著「瀧春一鑑賞」)

感想・・「風雪」という言葉は、風や雪というより、
    「風雪に耐えて生きる」というように、艱
    難辛苦の歳月を指す事が多い。風雪が何故
    艱難辛苦を表す言葉になったのか。吹雪の
    中にいて風雪に耐える事は正に艱難辛苦で
    あるからである。
    「身を屈する」は、すなわち苦難の試練を
    受けて耐える姿を言っている。
    寒さが厳しかったり、雪に真向わねばなら
    ない時、むしろ身体の芯が熱くなって来て
    力が湧き上がってくるような昂ぶりを覚え
    る事がある。だらけた状態にあるよりも、
    むしろ身体が引き締まって生きる勇気が湧
    いて来るものである。
    経済的な事や私生活の事での苦悩、他人か
    らの悪評、このような逆境、これらから逃
    げるのではなく、耐えようと意識する時、
    身の芯から力が湧き生き甲斐を感じるもの
    です。


われの眼の つひに見るなき 世はありて 昼のもなかを
白萩の散る
                            明石海人
 
(われのめの ついにみるなき よはありて ひるの
 もなかを しろはぎのちる)

意味・・私の眼にはもはや見ることも出来ない世界が
    周囲に広がっている。私のたたずむ秋の真昼
    もそうだ。しかしそんなこととは関わりなく、
    私の眼の中では白萩が散っていることだ。

    作者は27歳でハンセン病となり、35歳頃から
    視力が不自由になる。ほとんど視力を失った
    頃に詠んだ歌です。

    健やかだった頃の眼に刻み込まれた白萩の美
    しい幻想が、作者の脳裏に今鮮やかによみが
    がえってくる。それが失明によって世界と隔
    離されてしまった悲しみを詠んでだ歌です。

 注・・白萩=豆科の植物。萩は豆のような赤紫色の
     蝶形花であるが、白萩は白色の花を咲かす。
     秋の七草のひとつ。
    
作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    ハンセン病のため瀬戸内海の長島愛生園で一
    生を過ごす。歌集「白描」。

出典・・歌集[白描」(「荒波力著「よみがえる万葉歌人・
        明石海人」)

感想・・昭和10年頃に詠まれた歌と思われます。当時は
    らい病に効く特効薬は無く、らい病にかかると
    だんだん病気がひどくなるのを待つばかりでし
    た。作者の明石海人も同じで、喉に淡が詰まり
    息が出来なくなるので、喉に管を通した状態で
    した。その上目も見えなくなってしまいました。
    当時の愛生園は病気の軽い患者が思い患者の世
    話をしていました。明石海人も同僚から面倒を
    見てもらう立場でした。声も出せなく目も見え
    ない状態で意志を告げるのには、同僚の背中に
    手で文字を書いて相手がそれを読み取ります。
    明石海人が詠んだ歌もこのようにして残りまし
    た。
    病気がひどくなって治る見込みもないと、生き
    る気力も無くなります。明石海人はそれでも生
    き甲斐を持ち続けています。
    明石海人はどこから生きる力が、短歌を詠む力
    が湧いて来たのだろか。
    明石海人は短歌が詠めるようになった。そして
    詠む事に喜びを感じていたからではないだろう
    か。喜びを感じるので、短歌作りに熱中出来る。
    ここに生き甲斐を感じたのではないかと思いま
    す。
    私も同じ立場になっても、喜びを感じ熱中出来
    る何かがあったらと思う。

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