名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年07月


海ならず 湛へる水の 底までに 清き心は
月ぞ照らさん     
                菅原道真

(うみならず たたえるみずの そこまでに きよき
 こころは つきぞてらさん)

意味・・海どころでなく、さらに深く満ちている
    水の底までも清いというほどに清い私の
    心は、天の月が照らして、明らかに見て
    くれるだろう。

    菅原道真は右大臣の時に讒言(ざんげん)
    により大宰府に配流されて詠んだ歌です。
    心の奥底までの潔白さが誰にも見て貰え
    ない嘆きを、天に恥じない自負の高揚に
    転じて、自らを慰めたものです。

 注・・讒言=事実をまげ人を悪く言うこと。
    海ならず=海どころでなく。
    湛(たた)へる=満ちる、充満する。

作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903年没、
    59歳。従二位右大臣。当代随一の漢学者。

出典・・新古今和歌集・1699。

感想・・菅原道真が自分の潔白さを詠んだ歌ですが、
    弱肉強食の時代にこの歌が取り上げられた
    のに感心します。
    利害関係で対立する相手を再起不能にする
    のが正義であった時代です。
    民主主義の今の時代と違い、士農工商に代表
    される封建的社会です。
    自由と平等の無かった時代です。
    自由の反対は不自由であり、拘束であり、繋
    縛(けいばく)であり、圧力であり、階級差の
    釘付けであり、時には迫害である。
    また平等の反対は不平等であり、差別であり、
    劣視であり、排他である。それらは世の中を
    歪んだものにし、暗いものとし、時には絶望
    に追い込むものですらある。
    古今集が出来たのは1205年。この当時は平家
    が滅び源氏が滅びた中世の暗黒の時代。不自由
    と不平等の典型的な時代であった。

    新古今の撰者は菅原道真の歌に自由と平等を夢
    見たのだろうか。
    
    

高山の 影をうつして 行く水の 低きにつくを 
心ともがな                 
                詠人知らず

(たかやまの かげをうつして ゆくみずの ひくきにつくを
 こころともがな)

意味・・高い山の春夏秋冬の美しい風景を写して、
    流れ行く川が低い方に流れて行くように
    私もそのように心掛けて行きたいものだ。

    美しい川は自分を自慢した態度は取らず
    下手に流れて行くように

 注・・心ともがな=心でありたい。「もがな」は他への希
     望を表す。

感想・・この歌は生きるための心がけを詠んでいます。
    
    人にとって恥ずべきことの一つは、忘恩ということです。
    恩をこうむっておきながらそれを忘れる。また、恩を恩
    とも思わず、そうしてくれるのが当たり前だと思うこと
    です。
    反対に言えば受けた恩をその身に感じ、感謝し、それに
    報いる努力をしている人ほど、美しい花を咲かせている
    ことになります。

    美しい景色を映して流れる川は、周辺に恩恵をもたらし
    ながら流れている。

    私も美しい花を咲かすよう心掛けていきたく 思います。

眺めつつ 昔も月は 見しものを かくやは袖の
ひまなかるべき         
                相模

(ながめつつ むかしもつきは みしものを かくやは
 そでの ひまなかるべき)

意味・・物思いにふけり昔も月は見たのだが、こんなに
    袖の涙が乾く暇もない事があっただろうか、
    なかったものだ。

    物思いに沈む、恋の悩み・病気・子供の事で悩
    む・交通事故・・。

 注・・眺め=物思いに沈む事。
    かくやは=「かく」はこのように。「やは」は
     反語の意を表す、・・だろうかいや・・では
     ない。
    ひまなかるべき=涙で濡れずにいる隙(時間)が
     無かっただろうか、いやあった。今は濡れて
     ばかり。

作者・・相模=十一世紀半ばの人。相模守・大江公資
    の妻。 夫が相模守なので相模と称した。

出典・・千載和歌集・985。

感想・・いつも平々凡々に生活していると、何か良い事が
    ないかなあ、何か面白い事がないかなあと思う。
    些細な事にも反応して悩む事もある。何かときめ
    く事があれば悩み事も無くってしまうのにと思っ
    たりする。
    
    最近、知人が交通事故を起こし車が破損して乗れ
    ない状態になったという。
    その結果趣味のサークルの会合に参加出来なくな
    った。
    また、事故の解決のために多くの交渉事もしなけ
    ればならず、いやな思いの日が続いているという。

    この知人の今の心境は「眺めつつ昔も月は見しも
    のをかくやは袖の ひまなかるべき」だと思う。
    心が晴れない状態で月を見ても辛いことばかり。

    以前はサークル活動に参加していたが、前と同じ
    ように参加出来さえすれば最高の幸せだと思うの
    だが、という心境になっていると思う。平々凡々
    でも良い、事故前の昔に戻りたい!
 

我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を
今日越ゆらむ  
                   当麻真人麻呂

(わがせこは いずくゆくらん おきつもの なばりの
 やまを けふこゆらん)

意味・・夫はどのあたりを旅しているのであろう。
    名張の山を今日あたり越えていることで
    あろうか。

    伊勢行幸に従事した夫を思う妻の歌。名
    張を取り上げたのは、名張が畿内の限界
    で、この地の山を越えると異郷の伊賀の
    国だったため。

 注・・背子=妻が夫を女性が恋人を呼ぶ語。
    沖つ藻=「名張」の枕詞。
    名張=三重県名張市。

作者・・当麻真人麻呂(の妻)=とうまのひとまろのつま。
    伝未承。四位の官人。

出典・・万葉集・43。

感想・・この歌に対して、ブログ友の猫の帯さんより、
    次のコメントを頂きました。

    今とは違い、当時旅することは、本当に大変な
    事だったんですね。あらためて感じました。
    "物"に恵まれ過ぎた私たちは、大切なものを見
    失ってしまっている気がします。
 
    大切な物を失っていることに、なんとなく同調
    はするものの、大切なものとは何だろうと思い
    ました。

    名張から伊勢までの旅は、当時は数日かかっ
    ていたと思われます。この距離は現在は車で数
    時間で行けます。
    昔に比べれば自由な時間が大幅に増えています。
    田植えや稲刈りにしても、現在は機械化されて
    いるので短時間に終り、これも大切な時間が増
    えています。
    昔と比べると現在はあらゆる面で作業時間が短
    縮されて自由時間が増えています。

    恵まれた私たちは何か大切な物を見失っている
    ような気がすると、猫の帯さんは言っています。
    なんだろうか。

    昔は作業の効率が悪いので朝から夜まで働いて
    いました。一生懸命に働いても自由な時間は少
    ない。
    現在はかなり多くの自由時間があり幸せである。

    時間の使い方を昔と現在と比較して見ると、昔
    は生活のために一生懸命になり真剣に時間を使
    っていたと思います。
    現在は、極端な言い方であるが、暇つぶしでテ
    レビを見ている。この番組は何が何でも見たい
    と思って見ることは少ない。

    一生懸命になって時間を過ごしていた昔、真剣
    になって過ごすことの少なくなった現在。

    一生懸命になって使う時間の方に喜びが大きい
    のだと思いました。
    

いとけなし 老いてはよわりぬ 盛りには まぎらはしくて
ついにくらしつ       
                    明恵上人

(いとけなし おいてはよわりぬ さかりには まぎらわ
 しくて ついにくらしつ)
              
詞書・・人寿百歳七十稀ナリ、一分衰老一分痴、中心二十年事、
    幾多嘆キ咲キ幾多悲シム。この詩の心を詠める。

意味・・年老いては心は幼稚になり、身も弱ってしまった。
    盛りの時には心が他に紛れて最後までうかうか過ご
    してしまったことだ。

    人生の意気盛んなときは20年ほどの間。その時期に
    恋や人との交わりなどでつまらない事に悩んでしま
    い、大事な時を充実せずに過ごしてしまった。悲し
    いことである。

 注・・人寿百歳七十稀=出展未詳。「人生百歳七十稀」は
     白楽天の詩。
    一分衰老一分痴=一部分は老衰し、一部分は痴呆し
     てしまった。
    幾多嘆キ咲キ幾多悲シム=多く嘆いたり笑ったり悲
     しんだりしてきた。
    いとけなし=幼けなし。幼い。

作者・・明恵上人=みょうえしょうにん。1173~1232。8歳
     で母を失い、続いて父が戦死して孤児となる。伯父
     に頼って神護寺に入り16歳で出家。鎌倉時代の僧。     

出典・・明恵上人歌集・14(岩波書店「中世和歌集「鎌倉篇」)

感想・・徒然草の中に次の言葉があります。
    生、住、異、滅の移り変る実(まこと)の大事は、たけ
    き河のみなぎり流るるごとし。
    ものが生じ、生じたものが存続し、存続したものが変
    化し、それが滅びて行く。この、全てのものは変転し
    て止む時がないというおごそかな事実は、水の激しい
    河がみなぎり流れていくような早やさで起きていく。
    という意味である。

    庭の花を見ていると、赤や黄色の花が生じ、蝶がやっ
    て来る平安のなかにしばらく住(じゅう)し、皺(しわ)
    み枯れるという異変を経て、滅んでいく。

    全て滅ぶ、と悲観的になるか、いや、決してそうなっ
    てはいけない。
    私たちが生きているということは、「住」の時を持っ
    ているということである。それがいつ、異に変り、滅
    につながるかは、私たちは決して予知出来ない。
    とにかく、今生きて、今在るということこそ幸なので
    ある。

    更級日記の作者の菅原考標(たかすえ)女の言葉に「后
    の位も何にかはせむ」がある。源氏物語の1巻から50
    巻を全部取り寄せ読み始めた喜びの気持ちです。
    好きで好きでたまらない事が出来るなら、后の地位も
    いらない、と読みふける。

    好きな事に打ち込む。そして、楽しむ。充実感ゃ爽快
    感、心地良さ、ときめき・・、を感じたら素晴らしい。
    好きで好きでたまらない物を持つことの良さです。
    ちなみに私の好きで好きでたまらないものは、勝負事。
    将棋もそのひとつです。

    生、住、異、滅の移り変わる実(まこと)の大事、の中
    にあつて、好きなことを増やしていき「在命の喜び、
    日々楽しまざるべけんや」です。
           いのち長らえていることの喜びを、日々かみしめて、
    楽しく生きていこう。そうしないでいいものか。

              

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