名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年06月

中々に 花さかずとも 有りぬべし よし野の山の
春の明ぼの            
                 慈円

(なかなかに はなさかずとも ありぬべし よしのの
 やまの はるのあけぼの)

意味・・なまじっか桜の花が咲いていなくても、それは
    それでよいと思う。えも言われない吉野山の春
    の曙の空の美しさよ。

 注・・中々に=いっそう、むしろ。

作者・・慈円=じえん。1155~ 1225。天台座主。

出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」。

感想・・何かを始めようと決める。

    散歩を始めよう。
    本を読む事にしよう。
    整理整頓の一環に不要な物を週に一つ捨てよう。
    などなどを始めようと決める。

    決めた事をずっと継続出来れば好ましい事です。
    だが、雨が降ったり、時間がなかったり、疲れ
    ていたり、と継続するための障害物が多く出て
    来るものです。
    決めた事と言って無理に続けているとストレス
    が溜まって来る。

    志をもって何かをする事はよい。でも継続性の
    困難も考慮しなければならない。
    一週間続けよう、一ヶ月続けよう、この夏の間
    は何としてもやり抜こう、と期間を決める。
    その期間続けたら、再度継続の期間を決めて行
    く。
    ずっと継続(花見)は出来なくてもよい。一度で
    も出来た爽快感(春の曙)を味わえれば、それは
    それで楽しいものです。

忘れ草 しげれる宿を 来て見れば 思ひのきより
生ふるなりけり      
                 源俊頼

(わすれぐさ しげれるやどを きてみれば おもい
 のきより おうるなりけり)

意味・・あなたが私を忘れるという名の忘れ草が茂って
    いるあなたの宿を尋ねて来て見ると、あなたの
    「思い退き」という軒から生えているのだった。

    かっての恋人から忘れられるようになったが、
    気持が遠のいている事が確認できたので自分も
    諦めがついた、という事を詠んだ歌です。

 注・・忘れ草=萱草、忍草、恋人を忘れる比喩。
    思ひのき=思ひ退き(気持が遠ざかる)の意に
     軒を掛ける。

作者・・源俊頼=みなもとのとしより。1055~1129。
    金葉和歌集の撰者。

出典・・金葉和歌集・439。

感想・・かっての恋人が恋人でなくなった瞬間を詠んで
    います。
    それは次のように譬えられます。
    暗いトンネルの中。希望の光は前方にはない。
    後方の入り口にわずかに光が射している。
    トンネルを進んで行くうちに、後方の光も消え
    て真っ暗闇になってしまった。進む方向も分ら
    ない。

    一念が後退する時はものすごい障害物を感じる
    という。
    今がその時、真っ暗闇のトンネルの中。
    ここで駄目だと思ったら本当に駄目になる。
    光は見えないがトンネルには入り口があれば出
    口はある。進んでいれば必ず出口の明りが見え
    くるはずだ。
    暗いトンネルの中なので壁伝いに一歩一歩進ん
    で行くより他はない。
    一歩進めば出口まで一歩近くなる。希望の光は
    ないけれど、必ず希望の光が射してくると信じ
    て、一歩一歩壁に伝わって歩いて行こう。

    明るい出口を夢見て。
 

亡き母や海見る度に見る度に    
                                           一茶

(なきははや うみみるたびに みるたびに)

意味・・三歳で母に死別してから母の愛というものを
    知らずに育った一茶であるが、こうして海を
    眺めるたびに、その限りなく広がる豊かさ、
    やわらかくそして大きく自分を包みとってく
    れるような海の感触が、亡き母を憶(おも)わ
    せてくれる。

    一茶47歳の作です。

 注・・亡き母=名はくに。一茶の3歳の1765年に
     没す。

作者・・小林一茶=1763~1827。信濃の農民の子。
    3歳で母に死別し、継母と不和のため15歳
    で江戸に出る。

感想・・亡くなった母が嬉しく思ったのはどんな時
    だったのだろうか。

    ケアーハウスに入っている母を、千葉から
    北九州に見舞いに行った事がある。ベット
    の枕元には小さな本箱があった。そこから
    私が写った会社の社内報を取り出して見せ
    てくれた。ウルトラマラソンを完走した時
    の写真が載っている。同じ会社にいる兄が
    持って来て母に見せたものです。
    その時は自慢話で終わったのですが、何年
    も大事に取っていた社内報に母の気持ちが
    込められているのを気がついたのは亡くな
    ってからでした。私の元気な姿、頑張って
    いる姿が嬉しかったに違いないと。
    母親は子供の元気な姿を見るのが一番の嬉
    しさだと思った。


    「母さんの歌」   窪田 聡 作詞・曲

    母さんは夜なべをして 
    手袋あんでくれた
    木枯しふいちゃつめたかろうて 
    せっせっとあんだだよ
    ふるさとの便りは届く
    いろりのにおいがした

    母さんは麻糸つむぐ
    一日つむぐ
    お父は土間でわら打ち仕事
    お前もがんばれよ 
    ふるさとの冬はさみしい
    せめてラジオ聞かせたい

    母さんのあかぎれ痛い
    なまみそをすりこむ
    根雪もとけりゃもうすぐ春だで
    畑がまってるよ
    小川のせせらぎが聞こえる
    懐かしさがしみとおる

時すぎて 小野のあさぢに たつ煙 しりぬや今も
おもひありとは      
                 藤原家隆

(ときすぎて おののあさじに たつけむり しりぬや
 いまも おもいありとは)

意味・・盛りの季節も過ぎて小野の浅茅に煙が立って
    いる。そのように恋の時が過ぎた今でも私は
    思いに燃えていると、あの人は知っているだ
    ろうか。

    本歌は「時過ぎてかれゆく小野の浅茅には今
    は思ひぞ絶えずもえける」  (意味は下記) 
    
 注・・小野=「小」は美称の接頭辞。野原。
    あさじ=浅茅。短い茅萱(ちがや)。
    けむり=煙。春、野を焼く時の煙。

作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1162~12
    41。新古今集の撰者。

出典・・家隆卿百番自歌合岩波書店「中世和歌集・
    鎌倉篇」)

本歌です。

時過ぎて かれゆく小野の浅茅には いまは思ひぞ
絶えずもえける        
                 小野小町の妹

(ときすぎて かれゆくおののあさじには いまは
 おもいぞ たえずもえける)

意味・・季節外れで枯れ行く野原の茅萱(ちがや)に
    今は野焼きの火がいつも燃えています。
    盛りを過ぎた私はあなたに離れられました
    が心には悲しみの火が燃えています。

作者・・小野小町の姉=おのこまちのあね。詳細未
    詳。

出典・古今和歌集・790。

感想・・遠ざかって行く相手だが、まだ恋慕ってい
    ると 詠んだ恋の歌ですが、恋から離れての
    感想です。

    遠ざかって行く相手を恋慕うのは、相手に
    幸せを求めるものであり、無償の奉仕を願
    ようなものに感じます。
    相手に自分の幸せを求めるが相手を幸せに
    出来る保障はない。
    自分は恋する相手に何をどれだけしてあげ
    られるのか。
    この観点が抜けている気がする。

    布施という言葉がある。
    衣食や財物を困っている人に施す事である。
    悩みの相談にのってあげるのも布施の一つ。
    おしゃべりをして楽しい思いをさせる、
    にこやかな顔付きで人と接する、
    優しい眼差しで相手を見る、
    相手を尊重する態度をとる、
    これらも布施の一つである。

    相手に無償の奉仕を願うだけでなく、自分
    も何かしてあげる。
    布施の気持ちを持ち続けていれば、相手も
    気が変るのではないか、と思います。

ほととぎす 聞かで明けぬる 夏の夜の 浦島の子は
まことなりけり         
                   西行

(ほととぎす きかであけぬる なつのよの うらしまの
 こは まことなりけり)

意味・・郭公(ほととぎす)の鳴く声も聞くこともなく、
    夏の短夜ははかなく明けてしまったが、まこ
    とに浦島の子の玉手箱のように、あけてくや
    しいことである。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤義清
    (のりきよ)。鳥羽上皇の北面武士であったが23
    歳で出家。「新古今集」では最も入選歌が多い。

出典・・山家集・187。

感想・・時が過ぎ去るのが早い。浦島の子は真なり、と感
    じさせられます。

    浦島の歌です。

    昔々 浦島は  助けた亀に 連れられて 
    竜宮城へ 来て見れば 絵にもかけない 美しさ

    乙姫様の ご馳走に 鯛やヒラメの 舞い踊り
    ただ珍らしく 面白く 月日のたつのも 夢の中

    帰って見れば こはいかに 元いた家も村も無く
    道に行きあう 人々は 顔も知らない 者ばかり

    心細さに 蓋とれば あけて悔しき 玉手箱
    中からぱっと 白煙 たちまち太郎は お爺さん


    母に連れられてヨチヨチ歩きのお祭を思い出す。
    ヨチヨチ歩きの孫を連れての神社のお参りは最近。
    これらを思いだすと、開けて悔しい玉手箱ではな
    いが、たちまち私はお爺さん。

    乙姫様のご馳走に鯛やヒラメの舞い踊り、ではな
    いが、あれもしたい、これもしたいと思うものは
    一通りやって来た。そして満足なお爺さんになっ
    た。
    でもまだ、あれもしたい、これもしたい思うもの
    は多い。
    でも時が経つのが早すぎる。
    せめて、輝く目の子供達の姿を見たいと思う。

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