名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年05月

家むらを 千尋の谷の 底に見て 杉の梢を
ゆく山路かな     
                伴林光平

(いえむらを ちひろのたにの そこにみて すぎの
 こずえを ゆくやまじかな)

意味・・人家の群がっているのを、深い谷底に見ながら
    杉の梢の山路を通っている。

    奈良県吉野郡大塔村の険しい山道で、深い谷底
    が眼下に見える尾根の道。この道を倒幕の天誅
    組の一人として行軍の時に詠んだ歌です。

    山道の険しさは、行く末の厳しさの象徴でもあ
    り、理想に生きようとする者の硬い決意の表れ
    でもあります。

 注・・家むら=人家の群がっている所。
    千尋の谷=深く長い谷。

作者・・伴林光平=ばんばやしみつひら。1813~1864。
    倒幕の天誅組に加わわるが捕らえられ獄死する。

感想・・吉野杉を見上げるような厳しい山路。一歩一歩
    歩みを進めている。緑の切れ目から下界を見て、      
    よくもここまで高度をかせいだと思う。これか
    ら向かう所はまだまだ遠い。ゆっくりでもよい
    立ち止まらずに、一歩一歩歩みを進めよう。

    目標に向けて地味でもよいので、一歩一歩進め
    ていれば、やがて高い目標にたどり付くものです。
     

筑紫にも 紫生ふる 野辺はあれど なき名悲しぶ
人ぞ聞えぬ      
                 菅原道真

(つくしにも むらさきおうる のべはあれど なきな
 かなしぶ ひとぞきこえぬ)

意味・・筑紫にも紫草の生えている野辺はあるけれど、
    その紫草の縁から、私の無実の罪をきせられて
    いる名を悲しんでくれる人が耳に入らないこと
    だ。
    
    一本の紫草から、武蔵野の草の全てに心が引か
    れると詠んだ本歌を背景にしています。

    本歌は、
    「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながら
    あはれとぞ見る」      (意味は下記参照)

 注・・筑紫=筑前・筑後(いづれも福岡県)の総称。
    紫=紫草。根から紫の染料を採った。本歌では
     「紫」が注目されたが、紫に縁がある作者の
     いる「筑紫」は注目されない、の意。
    なき名=身に覚えの無い評判、無実の罪をきせ
     られている名。

作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903没。59歳。
    正一位太政大臣。謀略により太宰権師に左遷さ
    れた。漢学者。

出典・・新古今和歌集・1697。

本歌です。

紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら 
あはれとぞ見る         
                詠人知らず

(むらさきの ひともとゆえに むさしのの くさは
  みながら あわれとぞみる)

意味・・ただ一本の紫草があるために、広い武蔵野
    じゅうに生えているすべての草が懐かしい
    ものに見えてくる。

    愛する一人の人がいるのでその関係者すべ
    てに親しみを感じると解釈されています。

 注・・紫=紫草。むらさき科の多年草で高さ30
     センチほど。根が紫色で染料や皮膚薬に
     していた。
    みながら=全部。
    あはれ=懐かしい、いとしい。

出典・・古今和歌集・867。

感想・・都から遠く離れた大宰府に左遷された菅原
    道真の心中は どんなにか辛く寂しく、悔し
    かったことでしょう!


    人から足をすくわれる。
    自分が可愛がっていた部下にそむかれ、上
    司に裏切られる。あんな人とは思わなかっ
    たのに・・と、こういうことは人生には付
    物です。悔しい思いになります。
    そんな時にどう対処しらよいのだろうか。

    悔しい気持ちを収める為には、自分を引き
    落とすのはけしからん、負けずあの人を駄
    目にしてやろうと思うものです。
    それが出来なければ、悔しい思いを引きず
    る事になります。

    悔しい思いの中、なにくそ、地獄にまで落
    ちた訳でない、自分の正し力を見せてやる。
    それが仕返しだ、今に見ていろ、と考える。
    そして自分の仕事に打ち込む、何か一つの
    事に打ち込む。そうすれば少しくらい他人
    から足を引っ張られてもどおという事はな
    いと、自信がつくものです。
 

わが思ふ ことのしげさに くらぶれば 信太の森の
千枝はかずかは            
                   増基法師

(わがおもう ことのしげさに くらぶれば しのだのもりの
 ちえはかずかは)

意味・・私の悩むことの多さに比へれば、信太の森の楠の木
    の千枝も物の数ではない。

    悩みは自分だけでなく誰でも持っています。挫(くじ
    )けずに生きていきたいものです。

 注・・思ふ=思い悩む。
    信太の森=和泉国(大阪)にある森、楠木が多い。
    かず=数。多数。
    かは=反語の意を表わす。

作者・・増基法師=ぞうきほうし。生没年未詳。比叡山の
    法師。

出典・・詞花和歌集・365。

感想・・悩みの数は少なくしたいもの、そのヒントとして
    の感想です。
    ある女性が結婚するにあたって、夫となるべき人
    からこう言われました。「母が、烏が白いと言っ 
    たら、烏は黒色ではなく白い色に見えるような目
    を持つように」。その後彼女の結婚は想像以上に
    惨めなものであり、忍耐と自分との闘いの連続と
    なりました。
    その彼女が明るく自信に溢れ若々しくなったとい
    う。
    辛い結婚生活を通して学んだことは、私の目に黒
    と見えることでも、人により白に見えている場合
    があると分ったのです。十人いれば文字通り十色
    の物の見方があると分ったのです。そらから相手
    の物の見方を許し、それを理解した。その上で自
    分の考えや意見を述べたそうです。
    物事を既成観念や先入観で決め付ける習慣が根深
    く入り込んでいる事を反省したそうです。

    自分の先入観を横に置いて相手の立場に立って見
    る。言うことは易すいが実行は難しいものです。
    でも、そういう気持ちを持つ事が悩みの数を減ら
    す一歩だと思います。

春の海終日のたりのたりかな      
                     蕪村

(はるのうみ ひねもすのたり のたりかな)

意味・・沖には春霞がたなびき、穏やかな空と海とが
    広がっている。碧(あお)い春の海は、一日中
    のたりたのりとのどかにうねっている。

 注・・終日(ひねもす)=一日中。

作者・・蕪村=1716~1783。南宗画の大家。「蕪村
     句集」他。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。

感想・・歯をくいしばり手を握り締めて 、仕事に運
    に頑張っていた、絶頂期を思いながら、その
    時の立場でのどかな春の海を思い浮かべてい
    る。
    運動はマラソンをしていたが、大会に出るた
    びに記録は向上し順位も上がり面白い盛りで
    あった。
    仕事に運動に一生懸命自ら励んでいた時期が
    あった。その頃はつまらない考えは浮かばな
    かった。心を煩(わずら)わすような妄想も妄
    念もなかった。
    このような心もちで、今、のたりのたりと春
    の海がのどかにうねっている姿を思い浮かべ
    ている。寿命が延びそうな気になってくる。

            何事にも一生懸命に打ち込んでいた頃が懐か
    しくなって来る。    

若葉さす ころはいづこの 山見ても 何の木見ても 
麗しきかな  
                  橘曙覧

(わかばさす ころはいずこの やまみても なんの
 きみても うるわしきかな)

意味・・若葉が萌える頃はどこの山を見ても、また
    そこに生えているどんな木を見ても、心が
    すがずかしく成って来るものだ。

    初夏の躍動感、何事かを始めたくなる気持
    を詠んでいます。

 注・・麗しき=うつくしい、立派だ、端正だ。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集・524」。

感想・・自然界の清々しい息吹きがさわやかな薫風
    にエネルギーを運んでくるような歌です。

    川端茅舎の次の句が思い出されます。

    朴の花猶青雲の志

    (ほうのはな なおせいうんの ころざし)

      朴の花は五月に咲く。その時辺り一面は、
    目に痛いばかりの新緑である。明るく降り
    注ぐ初夏の陽光に、萌え生じる鮮やかな若
    葉がきらめいている。そんな情景の中に白
    い朴の花は咲くのである。
    見詰めていると、青雲の志を抱き奮闘した
    若き日々が脳裏を駆けめぐる。そして思う
    のだ。「何を弱気になっているんだ。まだ
    まだ、これからだ、まだまだ、これから頑
    張らなくてどうする!」
    次第に力が湧いて来る。忘れかけていた遠
    くから、何か熱いものが腹の底にみなぎっ
    て来る。

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