名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年04月

今は音を 忍びが岡の 時鳥 いつか雲井の 
よそに名告らむ
              安井仲平

(いまはねを しのびがおかの ほとどぎす いつか
 くもいの よそになのらん)

意味・・私は、忍びが岡に生まれたほとどきすだか、
    まだ声をひそめるような鳴き方しか出来ず、
    皆に笑われ耐え忍んでいるが、いつの時にか
    必ず、美しい声で大空に届くように鳴いてみ
    せよう。
    

    昌平学校に学んでいる仲平は顔に痘痕(あば
    た)があり器量が悪かったの同窓の者に馬鹿
    にされていた。それでこの歌を詠んで壁に貼
    って座右の銘としていた。

 注・・忍びが岡=「忍び」は固有名詞の忍ヶ岡と「
     耐え忍ぶ」の意と、また「声をひそめるよ
     うな鳴き声」の意の忍ぶを掛ける。
    雲井=雲のある所、空。
    よそに=余所に、かけ離れた所。
    昌平学校=ペリーの来航以来、徳川幕府の洋
     学の教育機関として設立された。その後、
     開成学校となり東京大学に発展した。

作者・・安井仲平=やすいちゅうべい。1799~1876。
    儒学者。天然痘にかかり顔面疱瘡痕で片目を
    失う。

感想・・負けるものか!今に見ていろ!頑張って○○に
    なるぞ!と闘志を詠んでいます。
    多かれ少なかれ将来に向けて○○になりたいと
    思っている人にとっては励ましになる歌です。

   「いつかきっと雲井のよそに名告らん」この気持
    が大切ですね。
    今では人より遅れているが、今では社会で認め
    られていなが「いつかきっと」名告りを上げた
    い。
    座右の銘として壁に貼り、いつもいつも見て「
    雲井のよそに名告らん」と心に誓う。そして、
    雲井に届いた時の事を想像する。
   「念ずれば通ずる」とはよく言われる言葉です。
   「いつかきっと」と強く思い続けることです。

おくれても 咲くべき花は 咲きにけり 身をかぎりとも 
おもひけるかな    
                   藤原為時

(おくれても さくべきはなは さきにけり みをかぎり
 とも おもいけるかな)

意味・・咲き遅れても咲くはずの花は必ず咲くものだ。
    身の栄達も時節があるというもの、我が身を
    見込みのないものとあきらめていたことだ。
    望みを持とう。

    人々が散り残った花を惜しんでいた際に詠ん
    だ歌です。

 注・・身をかぎりと=自分の身はもう立身出世出来
    ないものと見限って。

作者・・藤原為時=ふじわらのためとき。生没年未詳。
    紫式部の父。

出典・・後拾遺和歌集・147。

感想・・「咲くべき花」について思った事です。

    スポーツを例に見れば、水泳や陸上、球技、
    スキー、格闘技と様々なものがある。

    陸上競技の中でも、100mの短距離1500mの
    中距離、10キロ・フルマラソンの長距離と様々
    の種目がある。

    スポーツに参加する人の気持ちはどうであろうか。
    例えばフルマラソンの大会に出る人の気持ちは
    どうでろうか。
    入賞したい、記録を伸ばしたい人。完走が出来る
    だけでよい、参加するだけで意義があると思う人。
    健康の証しに何分で走れるかと思う人。若い人も
    老いも走っている。走るのに心地良さを感じる人
    もいる。

    短距離を走る人にフルマラソンが走れないから駄目
    というものではない。
    入賞した人が良くて完走出来ない人は劣っている
    といえるものでもない。
    完走出来なくても参加する事に意義を見い出す人は
    それはそれで素晴らしい。参加するために毎日こつ
    こつと練習している人かも知れない。

   「花を咲かせる」とは、他人との比較ではなく、自分
    の思った事を実現させる事なのかも知れない。
    この例では、フルマラソンは完走出来なくても大会に
    参加出来た事がすなわち「花を咲かせた」事になる
    と思います。

    参考に坂村真民の詩です。

    道は数限りあれど 我が辿る道はひとつ
    花は数限りあれど 我が願う花はひとつ
    我が道を行かし給え
    我が花を咲かし給え
    
    
    


塩之入の 坂は名のみに なりにけり 行く人しぬべ
よろづ世までに         
                  良寛

(しおのりの さかはなのみに なりにけり ゆくひと
 しぬべ よろづよまで)

意味・・塩之入峠が険しいというのは、うわさだけに
    なったものだ。その坂道を行く人は、通りや
    すいように作り直してくれた方のことを、い
    つまでも有難く思い顧みなさい。

      塩乃入の坂は、まことに恐ろしい坂で、上を
    見ると目もとどかず、下を見ると肝が縮こま
    るような坂なので、千里を行く馬も進みかね
    たという坂道。このような危しい道を歩きや
    すい道に作り変えた先任者に感謝の気持ちを
    詠んでいます。

 注・・塩之入(しおのり)の坂=新潟県与板町と和島
     村の境にある峠。「親知らず子知らず」の
     絶壁を思わせる険しい坂道であった。
    しぬべ=偲べ。「しのべ」と同じ。思いしたう。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集・1066」。

感想・・菊池寛の「恩讐の彼方に」が思いだされます。
    大分県耶馬溪の青の洞門の話です。
    1年の間に何人もの人が墜落して死んでいると
    いう難路。僧禅海は敵討ちに狙われている人。
    禅海は罪滅ぼしのために、この難所にトンネル
    を掘る決心をする。数十年の歳月を要してトン
    ネルが開通した。
    トンネルが出来上がった現在は何の苦労もなく
    通行できます。でも、ここを通る時はトンネル
    を掘った人の苦労を思い浮かべたいものです。

    現在の社会保険制度にも当てはめられます。
    昔は、大黒柱の主人が大病を患ったら一家は
    苦難のどん底に落ち込みました。
    現在は健康保険制度・生活保護制度・年金保険
    制度などがあり多くの人が恩恵を被っています。

    難所の道を通りやすくして呉れた昔の人に感謝
    をする。そして現在の困難を解決して次世代に
    残してゆく、この大切さを思います。

よくみれば 薺花さく 垣根かな
                             芭蕉

(よくみれば なずなはなさく かきねかな)

意味・・ふだんは気にも止めない垣根の根元に、よく見ると
    薺の花が目立たずひっそりと咲いている。

    程明道の詩句「万物静観皆自得」の気持を詠んで
    いると言われています。

    今ここを生きる薺の花は、咲いている場所や周囲の
    状況について好き嫌いを区別しないで自足自得して
    います。全ての人々があらゆる状況について好き嫌
    いを区別しないで自足自得することができれば、そ
    れは仏に他なりません。だから、今、ここを生きる
    人は憂悲苦悩を嫌いません。憂いに出会えば憂える
    仏、悲しみに出会えば悲しむ仏、苦しみに出会えば
    苦しむ仏、悩みに出会えば悩む仏になって何時も安
    らいだ心境でいられるのです。

    与えられた運命を嘆くのではなく、その運命の立場
    にいて幸せを求めて行こうという考えです。

 注・・自足自得=自分で必要を満たす、自分で満足する。

作者・・芭蕉=1644~1694。

出典・・小学館「日本古典文学全集・松尾芭蕉集」。

感想・・随筆家で73歳の大石邦子さんは22歳の時に交通事故
    に合い、半身麻痺になりました。一人では寝返りも
    出来ない人生の冬を生きて来た方です。
    「私の人生なんか、もう何もかも終り、生れて来なか
    ったらよかった」と泣き叫んだそうです。
    母も癌の再発を繰り返す中で、娘の世話をしながら、
    「現実を受け入れなければ」と娘を説得したという。
    現実を受け入れて見ると、死にたくなるのは人と比べ
    ているからなんだと気づいたという。
    それまでは自分の無い物だけを見ていたのが、「右手
    しか無い」と思っていたのが「右手がある」と気づい
    たという。
    その時主治医の先生から「右手があるのだから歌でも
    作ってみなさい」と言われて、父と母への遺書のよう
    うなつもりで短歌を書いたそうです。先生に「朝日歌
    壇に送ってみなさい」と言われ送ると、朝日歌壇に載
    ったそうです。
    この時、右手しか動かせない役に立たないこの私が、
    自分が誰かの役に立っていると思ったそうです。
    生きている喜びを感じたという。
    現在は車椅子に乗って随筆家として活動していますが、
    「ああ、ここに私の気持ちを分ってくれる人がいる」
    と思うと頑張りが利いたと話しています。



高砂の 尾の上の鐘の 声聞けば 今日のひと日も 
過ぎにけるかも            
                良寛

(たかさごの おのえのかねの こえきけば きょうの
 ひとひも すぎにけるかな)

意味・・山の頂から聞こえて来る鐘の音を聞いていると、
    今日の一日も何事もなく過ぎてしまったことだ。

    今日の一日が安らかに過ぎ去った喜びを歌って
    います。

 注・・高砂=「尾の上」の枕詞。
    尾の上=山の頂。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集」。

感想・・一日の終りになって、安らかな気持ちになって
    いる事はいいことです。
    良い事があったり、力一杯働いた後は安らかな
    気持ちになれる。
    一方気掛かりな事があり、まだあれをし終えて
    いない、これもしなくちゃと心残りがあると気
    が休まらない。
    人とのいざこざがあれば嫌な気分が残り、さわ
    やかな気持ちにはなれない。
    悩みがあればもちろん安らいだ気分にはなれな
    い。
    入相の鐘を聞きながら今日も無事に終えた、と
    ホットする思いは幸せなんだと思う。
  

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