名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年04月

花は散り その色となく ながむれば むなしき空に
春雨ぞ降る
                  式子内親王
          
(はなはちり そのいろとなく ながむれば むなしき
 そらに はるさめぞふる)

意味・・桜の花は散って、何を眺めるというのでもなく、
    しみじみとした思いで眺めると、何もない空に
    春雨が降っていることだ。

     時は平安時代から鎌倉時代に移る時代であり、
    貴族の世から武家の世に移って行く寂寥(せき
    りょう)感が詠まれています。
    桜が散り春の終りを見た式子内親王は、その
    事によって「王朝」の終焉を感じています。
    又、しい恋をした自身の人生も終局を迎え
    ていると感じている

 注・・その色となく=「そのこととなく」と同じ。
     何を眺めるというのでもなく。
    むなしき空=虚空。大空、何もない空。「空
     しい」を掛ける。

作者・・式子内親王=しょくしないしんのう。1153頃
    ~1201。後白河上皇の第二女。家集「式子内
    親王集」。

出典・・新古今和歌集・149。

感想・・最近体力が衰えて寂しいものです。
    例年ならマラソン大会を申し込み、それに向け
    て練習をしている頃である。
    現在は走れなくなり大会は申し込んでいない。
    マラソン仲間と一緒に走るのが楽しみであった
    が、それが出来なくなった。
    大会が近づくと、昔その大会に出ていた事が偲
    ばれて来る。走る仲間と一緒に走った事が思い出
    されて来る。
    花が散った後、それとなく空を眺めると、空か
    らはただ春雨が降っているだけで、一緒に走り
    ましようか、という誘いもない。寂しさが募っ
    て来るばかりだ
  

咲く花は 移ろふ時あり あしひきの 山菅の根し
長くはありけり
                  大伴家持

(さくはなは うつろうときあり あしひきの やま
 すがのねし ながくはありけり)

意味・・はなやかに咲く花はいつか色褪(あ)せて散っ
    てしまう時がある。目に見えない山菅の根こ
    そは、ずっと変らず長く長く続いているもの
    である。

    この歌は757年に詠まれており、藤原家との
    対立が激しくなっていた。その年は右腕の橘
    諸兄(もろえ)が死に、その前年に家持が頼り
    とする聖武天皇が亡くなっている。諸兄の子
    橘奈良麻呂は藤原仲麻呂に謀反を起こしたが
    失敗し、家持の知友の多くが捕らえられ処刑、
    配流される事件があった。貴族暗闘の時局を、
    これらの人々を心にしながら詠んだ歌です。

    栄耀栄華は一睡の夢、それに引き換えて山菅
    の根のような、細く長く着実に生きるあり方
    は目立たないが長く続くものだと詠んでいる。

 注・・咲く花は=知友達の悲運の哀傷や仲麻呂の栄
     達の憤懣(ふんまん)の気持がこもる。
    あしひきの=「あしびきの」とも。山の枕詞。
    山菅の根し・・=細く長く着実に生きていく
     ことへの意志がこもる。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
    大伴旅人の長男。少納言。万葉集の編纂をした。

出典・・万葉集・4484。

感想・・今の自分はどんな状態なのか。
    花が咲いているのか、蕾なのか、それとも萎ん
    でいる花の状態なのか。
    多くの人は今の自分を花が咲いた状態とは思わ
    ないだろう。もっと良く成りたいと思っている
    から。
    古希を過ぎた私は振り返ると、10年前15年前が
    花が咲いていた状態と思う。当時はそうは思って
    いなかった。これからだと思っていた。
    現在は全盛が過ぎたのでもちろん花が咲いた状態
    とは思っていない。
    でも今は健康であり歩きまわったり出来る。自由
    に趣味が楽しめる。
    あと何年後にか今を振り返って見れば、今を花が
    咲いた状態と思うかも知れない。
    その時になったつもりで、今を花が咲いている状
    態だと思って生きていきたい。
    花を散らさないように、毎日水をやり雑草を取っ
    ていきたい。
    睡眠に食事に運動に趣味に楽しんで生きていきた
    いと思っている。

心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども
思ひ知られず      
                                          紫式部

(こころだに いかなるみにか かなうらん おもい
 しれども おもいしられず)

意味・・私の気持ちの中で、どんな身の上になった
    らいいのだろう。どんな境遇にいても思い
    通りにならないとは知っているけれど諦め
    きれない。
    
    自分で満足のいく身の上というようなもの
    など、ありはしない。それは承知している
    けれど、諦めきれるものではない。

    他人が羨望するような良い所に就職出来た
    ものの、その中での人間関係が上手く行か
    ない。自分の思い通りになれるものではな
    いと、分かっていても何とかならぬかと諦
    めきれない、というような気持ちを詠んで
    います。    

 注・・心だに=気持ちの中で。
    いかなる身にか=どんな境遇の身であって
     も。
    かなふ=適ふ、思いどおりになる。
    思ひ知れども=道理などをわきまえる、悟る。
    思ひ知られず=理解できない、悟れない、
     諦めきれない。

作者・・紫式部=973頃~1019頃。藤原為時の娘。
      「源氏物語」「紫式部日記」の作者。

出典・・ライザ・ダルビー著「紫式部物語」。 

感想・・難しい歌です。
    一種のいじめの問題として受け止めました。

    10人10色。人それぞれ考え方や思っている
    事が違う。立場も違います。
    自分は間違った事をしていないと思っていても
    ある人から見ればけしからん奴と見える。
      
      例えば新しい職場に行き、不便な所を改善したら
    同僚は良くしてくれたと褒めてくれるとは限らない。
    前任者が放置していたと恥をかかせやがった。
    こんちきしょうめ。となる。
    自分が間違っていれば謝ることも出来るが、正しい
    事をしたと思っているので謝れない。

    自分の常識とその場の常識の違い。
    自分の常識で意思を通すと対立する。
    対立はいじめにつながる。

    このような問題を提起した歌に思いました。
 

死はそこに 抗ひがたく 立つゆえに 生きている一日
一日はいづみ
                  上田三四二

(しはそこに あらがいがたく たつゆえに いきて
 いるひとひ ひとひはいずみ)

意味・・病状を癌と知った時、死はすぐ目の前に避け
    がたく立ちふさがり、病気の厳しさを否応な
    く見据えねばならない。不安にうちひしがれ
    てしまいそうな日々。でも、だからこそ、生
    きている一日一日が宝物なのだ。

    43歳の時、病気が結腸癌だと分った時に詠ん
    だ歌です。死ぬまで残り少ない日々。この残
    された時間の一刻一刻は、「刻(とき)はいま
    黄金(きん)の重み」と意識し、こんこんと湧
    き出て来る生命の泉、として詠んでいます。

 注・・いづみ=泉。地中から湧き出る水。みなもと。
     黄金のように価値がある一刻一刻、それが
     湧き出る命の泉として捉えている。

作者・・上田三四二=うえだみよじ。1923~1989。
    京大医学部卒。医学博士。

出典・・歌集「湧井」(栗木京子著「短歌を楽しむ」)

感想・・今の私はまだまだ生き長らえる。後5年か
    10年かは分らない。が、すぐ死ぬとは思っ
    ていない。
    このような時は、夢を持ち希望を持って何
    か好きな事が出来る。
    子供や孫の幸福を見届けたいと夢が持てる。

    ある日突然、癌と宣告されたらどうであろ
    か。近々死ぬという事である。
    癌を宣告される前に好きな事をしていても
    継続してそれを続けられるだろうか。
    好きな事をしていても、それが無意味に感
    じるのではないか。不安にうちひしがれて
    何もする気にならないかも知れない。

    癌を患っても、最近の医学の進歩で必ず死
    ぬとは限らない。
    癌になって5年10年と生き長らえている知
    人は多くいる。
    上田三四二も癌になってから23年も生きて
    いる。
    今では癌になってもすぐに死ぬ病気ではな
    い。通常の成人病を患ったと思い込む事で
    ある。そして癌の不安を和らげたい。
    


数ならで 心に身をば まかせねど 身にしたがふは
心なりけり            
                 紫式部

(かずならで こころにみをば まかせねど みに
 したがうは こころなりけり)

意味・・私は物の数でもないので、この身を心の思う
    ままに振舞えないけれども、逆に身に従属す
    るものは心なのです。

    運命とは一介の私の力では動かせないものだ、
    だがその運命に素直に従っていけば、自然と
    心もそれに添っていくものである。

    自分の身の上が予想した通りにならなかった
    ので、思いつめて詠んだ歌です。

    この状況を事例で示すと、
    会社勤めで、辞令の時期に昇進を期待してい
    たのだが、予想に反して関連会社への出向と
    なった。最初は悔しい思いであったが、出向
    先に慣れて来ると住めば都となった。

 注・・数ならで=数える価値がない、取るに足りな
     い。

作者・・紫式部=むらさきしきぶ。970頃~1016頃。
    藤原宣考は夫。藤原道長に見出され、その娘
    の中宮彰子に出仕。「源氏物語」。

出典・・ライザ・ダルビー著「紫式部物語」。

感想・・現実を受け入れる事の大切さを詠んでいます。

    私は実力が無いので思った通りに成りません。
    その反面、意に反した事になっても私の気持は
    それに慣れて来ます、と歌っています。

    世間は思い通りには行きません。意に反した事
    が多々起こります。だからと言って悔しい思い
    にふて腐ってばかりではおれません。
    ふて腐れても元には返りません。
    もう元には戻らないものと早く諦めることです。
    悪いと思う環境に慣れる事です。住めば都とい
    います。悪い環境でも良い面も多くあります。

    現実を受け入れるとは、今の自分の置かれた立
    場を認めて、前向きに生きて行く事だと思いま
    す。

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