名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

春の海終日のたりのたりかな      
                     蕪村

(はるのうみ ひねもすのたり のたりかな)

意味・・沖には春霞がたなびき、穏やかな空と海とが
    広がっている。碧(あお)い春の海は、一日中
    のたりたのりとのどかにうねっている。

 注・・終日(ひねもす)=一日中。

作者・・蕪村=1716~1783。南宗画の大家。「蕪村
     句集」他。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。 

やまぶきの みのひとつだに 無き宿は かさも二つは
もたぬなりけり       
                   橘曙覧

(やまぶきの みのひとつだに なきやどは かさも
 ふたつは もたぬなりけり)

詞書・・笠を貸したのだがなかなか返してくれない
    ので、子供に取りに行かせる為に詠んだ歌。

意味・・山吹は花が咲いても実の一つもないように、
    我が家にも蓑は一つも無く笠も二つとは無
    いのですよ、どうか、お貸しした笠をお返
    し下さい。

    催促が柔らかく感じられます。

    本歌は「ななへやへ花はさけども 山吹の
    みのひとつだになきぞかなしき」です。
             (意味は下記参照)   

 注・・みのひとつ=山吹の実一つと雨具の蓑一つ
     を掛ける。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
    国文学者。家業を異母弟に譲り25歳頃隠棲。
    「独楽吟」等の歌集がある

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

本歌です。
ななへやへ 花はさけども 山吹の みのひとつ
だに なきぞかなしき 
                 兼明親王

詞書・・雨の降った日、蓑を借りに来た人がいまし
    たので、山吹の枝を折って与えました。そ
    の人が帰りました翌日、山吹の意味が分ら
    ないといいよこした返事に詠みました歌。

意味・・七重八重に花は咲いているけれど、山吹が
    実の一つさえもないように、蓑一つさえ無
    いのは悲しいことです。

作者・・兼明親王=かねあきらしんのう。914~
    987。従二位・左大臣。

出典・・後拾遺和歌集・1155。 

0823



龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなん
わが帰るとに
               大伴家持

(たったやま みつつこえこし さくらばな ちりか
 すぎなん わがかえるとに)

意味・・龍田山を越える時に眺めながらやって来た、あの
    桜の花は、すっかり散り果てていることであろう
     か。私の帰る頃には。

    防人を取り仕切る仕事で、難波に滞在中の時の歌
    です。今の仕事を無事に終わらせ、早く帰りたい
    という気持ちがあります。

 注・・龍田山=奈良県生駒郡の山。
    帰るとに=「と」はここでは時、折の意。

作者・・大伴家持=大伴家持。718~785。大伴旅人の長
    男。越中(富山)守。万葉集の編纂を行う。

出典・・万葉集・4395。

 

山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど
道の知らなくに
                高市皇子 

(やまぶきの たちよそいたる やましみず くみに
 ゆかめど みちのしらなくに)

詞書・・十市皇女(とおちのひめみこ)の亡くなれた時、
    高市皇子の詠まれた挽歌。

意味・・山吹の花がまわりを飾っている山清水を、汲み
    に行きたいと思うけれど、そこまでの道が分ら
    ないことである。

    亡き人のいく所を黄泉と書き、そのまま、こう
    せんとも読み、よみとも読む。山吹の色の黄と、
    山清水の泉で、この黄泉を暗示している。
    高市の皇子はイメージに描く。十市の皇女の魂
    は、今頃どこをさまよっているのか。山吹咲く
    泉のほとり。それは、うら若い女性の行き場所
    としてふさわしい。自分もあとを訪ねて、そこ
    まで行きたい。山吹に照り映えて、そこにたた
    ずむ皇女の姿ははっきり見えるが、泉にたどり
    つく道は、深い霧につつまれたように見えない。

 注・・十市皇女=とおちのひめみこ。大友皇子の妃。
     壬申(じんしん)の乱で父方と夫方が戦い、夫
     の敗北、死に終わる。678年急病で没。30歳位。

作者・・高市皇子=たけちのみこ。696年没。天武天皇の
     長男。壬申の乱で活躍し太政大臣になる。

出典・・万葉集・158。

山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど
道の知らなくに
                高市皇子 

(やまぶきの たちよそいたる やましみず くみに
 ゆかめど みちのしらなくに)

詞書・・十市皇女(とおちのひめみこ)の亡くなれた時、
    高市皇子の詠まれた挽歌。

意味・・山吹の花がまわりを飾っている山清水を、汲み
    に行きたいと思うけれど、そこまでの道が分ら
    ないことである。

    亡き人のいく所を黄泉と書き、そのまま、こう
    せんとも読み、よみとも読む。山吹の色の黄と、
    山清水の泉で、この黄泉を暗示している。
    高市の皇子はイメージに描く。十市の皇女の魂
    は、今頃どこをさまよっているのか。山吹咲く
    泉のほとり。それは、うら若い女性の行き場所
    としてふさわしい。自分もあとを訪ねて、そこ
    まで行きたい。山吹に照り映えて、そこにたた
    ずむ皇女の姿ははっきり見えるが、泉にたどり
    つく道は、深い霧につつまれたように見えない。

 注・・十市皇女=とおちのひめみこ。大友皇子の妃。
     壬申(じんしん)の乱で父方と夫方が戦い、夫
     の敗北、死に終わる。678年急病で没。30歳位。

作者・・高市皇子=たけちのみこ。696年没。天武天皇の
     長男。壬申の乱で活躍し太政大臣になる。

出典・・万葉集・158。

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