名歌鑑賞のブログ

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと
見て帰り来む     
                   田辺福麻呂

(なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみ
たちこやと みてかえりこん)

意味・・誰かあの奈呉の海に乗り出す舟を、ほんの
    しばらくでよいから貸して下さいませんか。
    沖まで出て行って、もしや波が立ち寄せて
    くるかと見て来たいものです。

    福麻呂が使者として、越中(富山県)にいる
    大伴家持の家に訪ねた時に挨拶の歌として
    詠んだものです。
    海のない山国の奈良から来た人なので、海
    に対する好奇心を示しています。

 注・・奈呉の海=富山県高岡市から新湊市にかけ
     ての海。
    しまし=暫し。しばし。

作者・・田辺福麻呂=たなべのふくまろ生没未詳。
      741年頃活躍した宮廷歌人。
 
出典・・万葉集・4032。
 

8489

 
古へに 変はらぬものは 荒磯海と 向かひに見ゆる
佐渡の島なり
                 良寛
               
(いにしえに かわらぬものは ありそみと むかいに
 みゆる さどのしまなり)

意味・・昔と少しも変わらないものは、古里の岩の多い
    海辺と、沖の向こうに見える佐渡の島である。

    生きとし生きる物は皆死に、また生まれ変わる。
    盛者は滅び、また生まれる。喜怒哀楽の感情も
    その都度変わるものである。この、無常の世の
    中で、大昔から変わらないものは、荒波の打ち
    寄せる海岸と、海の向こうに見える佐渡島だけ
    である。

    すべての物は移り行くので、今を大事に生きよ
    う、怠らず努めよう、という気持ちが含まれて
    います。

 注・・荒磯海(ありそみ)=岩の多い海辺。

作者・・良寛=りようかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集・1239。


いにしへに ありけむ人も 我がごとや 三輪の桧原に
かざし折りけん
                   柿本人麻呂
             
(いにしえに ありけんひとも わがごとや みわの
 ひばらに かざしおりけん)

意味・・その昔にいた人も、私と同じように、三輪の桧原で、
    桧(ひのき)の葉を挿頭(かざし)とするために折った
    ことであろうか。

    「かざし」は装飾よりも、草木の生命力にあやかろ
    うとする祈願のためです。 

 注・・三輪の桧原=奈良県桜井市三輪の辺りの原野。
    かざし=挿頭。草木の花や枝を折り取って、髪や冠
     に挿す。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没年未詳。71
    0年頃に活躍した万葉集を代表する歌人。

出典・・拾遺和歌集・491。

8025

 
我が雪と 思へば軽し 笠の上   
                      宝井基角 

(わがゆきと おもえばかるし かさのうえ)

意味・・頭にかぶった笠に積る雪も、自分の物だと思えば
    軽く感じる。

   「我が物と思えば軽し笠の雪」と一般になじまれて
    います。
   (苦しいことも自分の利益になると思えばそれほど
    気にならない、という意味)

    その苦しみが自分の利益になる、ということを意
    識する事が大切です。

作者・・宝井基角=たからいきかく 。1661~1707。初
    は母の性、榎本を名乗っていた。芭蕉に師事。



 代はらむと 祈る命は 惜しからで さても別れむ
ことぞ悲しき
                 赤染衛門
              
(かわらんと いのるいのちは おしからで さても
 わかれん ことぞかなしき)

意味・・我が子に代わって死にたいと祈る、その私の命は
    惜しくはないが、祈りがかなって子と別れる事に
    なるのが悲しいことです。

    わが子が重病で死に瀕した時の歌です。子を想う
    母親の真情が率直に詠まれ、この想いが通じて、
    息子は快癒したという(今昔物語より)。

 注・・さても=そうであっても、やはり。

作者・・赤染衛門=あかぞめえもん。生没年未詳。1040
    年頃活躍した人。

出典・・詞花和歌集・363。

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